今日、叔父から祖母が旅立つまで時間が残されていないと連絡がありました。
早ければ今週、長くてもお盆を迎えるのは厳しいとのこと。
先週祖父の命日を迎えていた為、ぼんやりと祖母の事を考えていました。
約1年ほど前は、まだ記憶がおぼろげながらも祖母は私を覚えていたし
普通に座って話をする事もできていました。
帰るね、また来るね。と言うと祖母は泣いていたのを覚えています。
毎年冬を迎えるたびに入院を繰り返し、約15年ほどかけて少しづつ
元気な祖母は小さくなっていきましたが、今季はついに食事を取れなくなり
点滴だけになると体力勝負で残りは半年位だと医者から話を聞きました。
それまでも毎年祖母に会いに行くようにはしていたし、ここ数ヶ月のうち
2〜3度帰ることができたのですが、運よく話ができたときもあれば
眠り姫を見るだけの時もありました。
そして帰ると親戚が集まり、私の幼い頃や叔父や叔母の子供の頃まで遡り
はじめて聞くような話も沢山する事ができました。こうしてまた縁が
できる機会ができたのも、祖母のおかげと叔母も言っていたけれど、
本当にそうだと感じています。
叔母は看護師で介護師の資格も持ち、介護施設で勤務をしていますが
今年秋に定年になるので思い切り祖母の面倒を見るつもりだったのに
叶わないかもしれない・・と悲しそうにしていました。
叔父は最後まで在宅介護にこだわっていましたが、自宅で旅立つことを
してやれないことをとても悔やんでいました。
過去の若気の至りを償うかのように、祖母を仕事をしながら日々一人で
懸命に介護してきました。接する姿は祖父を見ているようでした。
誰もが叔父でなければここまでできなかっただろうと言っているし
長く続けた叔父もそれを自負しているようでした。
私は何一つ恩返しができていないけれど、辛い時期もあったなか
幼少期を祖父母に厳しく愛情を持って育ててもらったおかげで
命を全うしたいという気持ちを今も日々持ちづづけていること。
それが私にとっての気持ちの償いになっているのかもしれません。
死に目に会うという事、葬儀を行う事も、恩返しをしたい思いや
色々な後悔の気持ちも、旅立つ人の為でなく全て残された自分達の
為だと言うことは、この期間の中で十分皆は理解しているのです。
「誰かの為に」というのは結局、誰かを投影した自分の為であると。
それもエゴの1つなのかもしれない。
でも全員で祖母を最後まで看ることができて、お互いが幸せを感じて
いるのであれば、それも1つの良い選択であると感じました。
祖父の場合は病気で寝込んだことがほとんどない代わりに、ある日
突然旅立ってしまったことから、皆が受入れるのに相当の時間がかかり
叔父や叔母も今も後悔の思いが残っていると話していました。
その分祖母への思いに注がれているのかもしれません。
祖父が旅立ち四半世紀以上・・祖父がいない事以外は、時は変わらず流れ
祖母は毎日神棚と仏壇のお供えを新しくするところから朝が始まり、
お日様とともに寝起きする。季節とともに恵みをいただき、二十四節気の
行事をこなし、何百回忌の法要も忘れず変わることなく生き続けました。
祖母の思いを聞いたことは無かったし、毎日祖父の写真に手を合わせる
背中を何気なく見ていただけでしたが、思い返せば自分の運命を全て受入れ
ているかのように、我欲も出さず放棄することもなく目の前の事を黙々と
刻んでいく姿が祖母の思いそのものであり、それを見ることができて
今では本当に良かったと感じます。
そして、老いて蝋燭の火が少しづつ小さくなっていく様子から
今の姿を見届ける覚悟をするには十分の時間をもらえたのだと思います。
今年のお彼岸に会いに行った際に眠り姫に手を握り声をかけると、
早ければ今週、長くてもお盆を迎えるのは厳しいとのこと。
先週祖父の命日を迎えていた為、ぼんやりと祖母の事を考えていました。
約1年ほど前は、まだ記憶がおぼろげながらも祖母は私を覚えていたし
普通に座って話をする事もできていました。
帰るね、また来るね。と言うと祖母は泣いていたのを覚えています。
毎年冬を迎えるたびに入院を繰り返し、約15年ほどかけて少しづつ
元気な祖母は小さくなっていきましたが、今季はついに食事を取れなくなり
点滴だけになると体力勝負で残りは半年位だと医者から話を聞きました。
それまでも毎年祖母に会いに行くようにはしていたし、ここ数ヶ月のうち
2〜3度帰ることができたのですが、運よく話ができたときもあれば
眠り姫を見るだけの時もありました。
そして帰ると親戚が集まり、私の幼い頃や叔父や叔母の子供の頃まで遡り
はじめて聞くような話も沢山する事ができました。こうしてまた縁が
できる機会ができたのも、祖母のおかげと叔母も言っていたけれど、
本当にそうだと感じています。
叔母は看護師で介護師の資格も持ち、介護施設で勤務をしていますが
今年秋に定年になるので思い切り祖母の面倒を見るつもりだったのに
叶わないかもしれない・・と悲しそうにしていました。
叔父は最後まで在宅介護にこだわっていましたが、自宅で旅立つことを
してやれないことをとても悔やんでいました。
過去の若気の至りを償うかのように、祖母を仕事をしながら日々一人で
懸命に介護してきました。接する姿は祖父を見ているようでした。
誰もが叔父でなければここまでできなかっただろうと言っているし
長く続けた叔父もそれを自負しているようでした。
私は何一つ恩返しができていないけれど、辛い時期もあったなか
幼少期を祖父母に厳しく愛情を持って育ててもらったおかげで
命を全うしたいという気持ちを今も日々持ちづづけていること。
それが私にとっての気持ちの償いになっているのかもしれません。
死に目に会うという事、葬儀を行う事も、恩返しをしたい思いや
色々な後悔の気持ちも、旅立つ人の為でなく全て残された自分達の
為だと言うことは、この期間の中で十分皆は理解しているのです。
「誰かの為に」というのは結局、誰かを投影した自分の為であると。
それもエゴの1つなのかもしれない。
でも全員で祖母を最後まで看ることができて、お互いが幸せを感じて
いるのであれば、それも1つの良い選択であると感じました。
祖父の場合は病気で寝込んだことがほとんどない代わりに、ある日
突然旅立ってしまったことから、皆が受入れるのに相当の時間がかかり
叔父や叔母も今も後悔の思いが残っていると話していました。
その分祖母への思いに注がれているのかもしれません。
祖父が旅立ち四半世紀以上・・祖父がいない事以外は、時は変わらず流れ
祖母は毎日神棚と仏壇のお供えを新しくするところから朝が始まり、
お日様とともに寝起きする。季節とともに恵みをいただき、二十四節気の
行事をこなし、何百回忌の法要も忘れず変わることなく生き続けました。
祖母の思いを聞いたことは無かったし、毎日祖父の写真に手を合わせる
背中を何気なく見ていただけでしたが、思い返せば自分の運命を全て受入れ
ているかのように、我欲も出さず放棄することもなく目の前の事を黙々と
刻んでいく姿が祖母の思いそのものであり、それを見ることができて
今では本当に良かったと感じます。
そして、老いて蝋燭の火が少しづつ小さくなっていく様子から
今の姿を見届ける覚悟をするには十分の時間をもらえたのだと思います。
今年のお彼岸に会いに行った際に眠り姫に手を握り声をかけると、
強く握り返してくれた祖母の手の力が私にとっての最後の会話かもしれない。
その力は何を伝えたかったのだろうか。
まだ生きたいのか、ありがとうなのか、バトンを渡してくれたのか・・。
答えは分からないけれど、それでよいと思っています。
受け取った私は、その強さを受け止めて日々を生きていくのです。
恐らく私は距離が離れている為、連絡があってから駆けつけても
祖母の魂は旅立ったあとの可能性が高いと思います。
もうすぐ居なくなり、姿を見ることができなくなるのは寂しいけれど
最後まで苦しくなく眠るように旅立って欲しいと願います。
一生懸命に生きてきた祖母だから、ゆっくり休んで欲しいのです。
お別れの日まで、祖母を思いながら過ごしていこうと思います。
その力は何を伝えたかったのだろうか。
まだ生きたいのか、ありがとうなのか、バトンを渡してくれたのか・・。
答えは分からないけれど、それでよいと思っています。
受け取った私は、その強さを受け止めて日々を生きていくのです。
恐らく私は距離が離れている為、連絡があってから駆けつけても
祖母の魂は旅立ったあとの可能性が高いと思います。
もうすぐ居なくなり、姿を見ることができなくなるのは寂しいけれど
最後まで苦しくなく眠るように旅立って欲しいと願います。
一生懸命に生きてきた祖母だから、ゆっくり休んで欲しいのです。
お別れの日まで、祖母を思いながら過ごしていこうと思います。