辞書で引くとシンプルな答えです。
・にせ物や見かけばかりの物ではない、本当の物

この話をするために、いったい何が本物であるかという事を
考える必要があります。

偽ブランドはどれだけ本物に近くても法的には「偽物」です。
形の無いものも知的財産権などを取得していれば、概念ではなく
具体的に本物だと立証することができるでしょう。

カニカマも「カニ」を基準にすれば偽物ですが、カニカマという
商品そのものは社会的地位を認められています。
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ただ、今日の「本物」の話はモノではなく「人」のこと。
モノもこの世界も、作っているのは結果的に人ですから。

ということで方法というのは「人間の心の見分け方」です。
ざっくり言うと「無意識下の心のうち」と「実際に言葉にする事」
がどれだけ乖離しているかという事です。

要は「嘘つき」であるかどうか。人を欺くということでしょうか。
見せかけ(嘘)の人ではないか?ということです。

自分が気づいていない場合でも、心の奥底には真の思いがあり
それに基づいて全ての人は行動をしています。

ブランド品を身にまとい、それらしい肩書きを並べ、初対面から
もっともらしい事を言う人ほど私は信用しません。
また会うたびに意見が変わる人や、時間が経つと初対面とずいぶん
印象が変わってしまう人も怪しいです。
たとえ言葉は無くても。発言の順やタイミングもそうですね。
素朴な中でも発言や行動ににじみ出るものがあるのです。

人は分かりやすいためか、肩書きや見た目で判断しがちです。
特に、とても疲れていて判断能力が鈍っているときや、何かに追われ
こうしたいという強い思いを持っている時ほど、それに合致する
人に出会ってしまう事で見事に引っかかってしまいます。

魔が差したとでも言うのかもしれませんね・・
自分が体調が悪いときなどは、重要な判断は先送りしています。
クリアな目で見れない時期は正しい判断ができないからです。

実態のあるものが判断基準の全てでしょうか?相対価値(優劣)
で本物を判断してないでしょうか?
絶対価値という「自身の判断する心」が信じられないと基本的に
本物を見分けることはできません。
ただ、教育や社会自体の構造が相対価値主義ですから、意識を
し続けないと判断ができなくなっていきます。

もう1つは「見分けられなかった事を自覚した」経験をすること。
この積み重ねが無ければその目も養われません。
失敗を避けてきた人は基本的に見分ける力がつきません。

また、よく聞くのは「テレビが言っていたから」「社長が言って
いたから」「信頼できる人が言うから」間違いない、ということ。
メディアの世界は私も知っているので、必ず製作者の何らかの
意図があり流れているものですし、いくら信頼のおける人でも
100%発言が正しいかと言えば、私はそうではないと思っています。


信頼できる人、または信頼できる人からの紹介だとしても、
よく露出している有名な人であっても、まずはその「みかけ」を
一切取り払い、その人を裸にして心の底を見るのです。

見た目や見かけに惑わされないこと。
それを視界から消した上で、自分の心で相手の心を見ること。


一番の判断基準はまず「自分は何を本物だと思っているのか」を
自分の心に深く問いかけてみることだと思います^^