前回の続きです。ここ1~2年、入退院を繰り返し元気が
なくなっている祖母の様子や、その周りのかかわる人達
を見ながら、少しづつタイトルの事を考えるようになりました。

死は、生きている人が全員経験をしていないため不安な
事なのです。そして、死後の事も誰も分からないため
必ず立ち向かわなければいけない出来事なのです。

生きている=必ず死が訪れる

以前書いたのですが、私の周りの方は長年闘病をされていて
死を覚悟され最後の日を迎えられた人が1人いただけで
祖父を含めそれ以外の方は皆ある日突然の終わりを迎えた
もしくは知らされた人ばかりでした。

突然の終わりは心の準備ができていないからか、特に身内は
受け入れるのにとても時間がかかりました。私は祖父の死を
10年以上受け入れられませんでした。

お葬式を含めた亡くなった後の行事のようなものは全て
故人のためではなく残された人達の為にあるのではないか
と思います。故人は既に存在しないのですから、その事を
受け入れる為と。

いろいろな方の死に立ち会って感じることは、他人の死を
通して、自分の「生き方」を考える機会だと思っています。
そして、死に際ではなく「生き様」のほうが大切だと思います。

祖母は、私が物心ついたときから弱音を吐くのを聞いたことが
ありません。ただ寡黙に日々生活を送るのですが、曾祖母(姑)
がいた頃から家の事は厳しく教えられていたそうです。

曾祖母も早くに亡くなりましたが、その後も家のことは一切手を
抜くことなく行っていました。祖父も60代でなくなり、今年で
丁度30年になります。
亡くなった当初は一人で家を守っていましたが、叔父と暮らす
ようになってからも畑仕事や家事は休むことなくしていました。

二十四節気 七十二候の勤めを絶やすことなく、祝日には国旗を
玄関に立て、神棚と仏壇のお世話を朝晩行い過去帳をめくり
日命日にはお経を上げ、600回忌など分からないほど昔の
ご祖様の命日にはお寺さんを呼んでいました。

そして少しづつ、持病で入退院を繰り返し体が思うように
動かなくなっても、神棚、仏壇のお供えと着替えやお手洗いは
自分でしていました。自宅のベッドにいても、できるだけベッド
から足を下ろして座ることを心がけていました。


今もほとんど眠っていますが、起きたときは介助をされたく
ないことを強く主張しています。

たった一人のどこにでもいる女性かもしれませんが、子供の
頃から生き方を見ていてとても心打たれるものを感じました。

叔父や叔母も厳しい母だったが、弱音や愚痴を聞いたことが
一度もないそうです。私もそうでした。そして晩年の持病で
入院するまでは寝込んでいるところを見たことがなかったです。

実際は心の中で思うことも沢山あったでしょうし、弱音を
吐きたくなることもあったはずです。夢や目標もあったの
かもしれませんが語ることなく、そして誰に頼ることなく
生きることを日々丁寧に送ってきた祖母を振り返ると今は
そのような姿を見ることができて良かったと思います。

今はいなくなる悲しさよりも、祖母の生き様に改めて感銘する気持ちが大きいです。
そして感謝の気持ち・・

私も育った環境から、人に頼ることは極度に苦手です。
人に迷惑をかけず、自分の力でできることを精一杯やって
いきたいのです。それと自分の心に素直に生きること。

生きることを投げ出したい事もありますが、祖母や周りの
人の生き方を見ていると、そんなに簡単にあきらめる事は
できないなと思うのです。

最後の最後まで生きようと思うこと。日々悔いのないように
生きることが、これまで育ててくれた沢山の人へ報いることが
できるという私自身への「慰め」なのかもしれませんけれど。

これからも辛い事も多くあるでしょうし、輝きを見出すこと
もできるでしょう。最後の日がいつなのかは分かりませんが
最後まで私も生ききっていくつもりです^^