先日で震災から5年が経ちました。その日の前後は各
TV局でも特集番組が組まれていて、今の現状を見る
事ができました。
今日のテーマですが、あくまで私の経験から来る話です。
そうではないと思う方もいらっしゃるでしょうが、
気になっているので書いてみたいと思います。
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人は生まれた限り、いつかは別れが来ます。
それが寿命で、本来の順番であればまだ良いのですが
そうではない事も多いです。理不尽で一生許せない事や
受け入れる事ができない場合もあります。
病気や、不慮の出来事など・・。
残された家族は悲しみを背負って生きていかねばなりません。
ただ、その悲しみにきちんと立会い消化して、時間が経過
する事により、少しづつそれを受け入れる事ができます。
人は、辛さがわずかづつでも小さくなっていくものです。
そうでなければ過去のもの悲しみが積みあがるばかりで
生き続ける気力を保てないでしょう。
私は、死別こそしてないものの2歳半で両親がある日突然
目の前からいなくなり、祖父母に懸命に育てられました。
子供ながらに時折悲しくて泣く事はあった反面、それでは
真剣に向き合ってくれている祖父母に失礼ではと思うように
なり、泣くのをやめようと決意したのを覚えています。
また、大切な人の死に立会い(闘病期間を含め)葬儀に出て
別れを実感し、残された私を含む家族とその後向き合いました。
当初は自然と涙がこぼれてしまう事もありましたが、やはり
いつまでも悲しみに暮れていては故人がもし見ていたら辛い
のでは・・と感じながら前に進んできました。
人の痛みに比べれば、私はちっぽけなものだと思います。
ただ忘れるというのとはまた違うのです。辛い事に直面
した日を境に、その事を通して自分はどう生きるのかを
一つづつ考えていく日が始まるのです。
また、共感は嬉しいですが同情だけはされたくないのです。
そして、私も懸命に生きている人に対して「可哀想」とは
思いたくないのです。ただ、エールを送ることをしたい。
この言葉を切り取ると、非情な人といわれても仕方ありません
が、悲しみを乗り越えるのは結局本人次第なのです。
可哀想だと思われては、本人の悲しさを呼び戻すだけになる。
私が辛い体験の話もあえてするのは、消化する為なのです。
少しづつ受け入れて、それを乗り越える為。そしてその自分の
過程を含め、その事が誰かの役に立てばそれで良いのです。
また「可哀想」と思う事自体、相手の気持ちを汲もうとすれば
する程、その様な言葉は浮かんできません。
言う側が相手を蔑んでいることになるからです。
カラクリを書くと長くなるので、この事はまた別の記事で書こうと思います。
一方で、自分の経験をあわせて共感していただける方は、
自分の生き方や実体験と重ね合わせ、きちんと消化して
いる方だと嬉しく思うのです。同じようでも全く違うのです。
悲しみや挫折は終わりではなく、新しいスタートなのです。
人は何の為に生まれてきたのかを考えられる唯一の種です。
悲しみや、後ろ向きにすがってばかりでは前に進めません。
良いのですが、それが何年にも渡りそのように閉じこもるのは
前に進むのを避ける為の言い訳にしているようにも思えます。
また、本当に助けて欲しいと思う人には手を差し伸べても
「助けて欲しいといえば誰かが助けてくれる」と楽をしようと
している人には自分の力で進む事を促すようにしています。
そうでなければ、いつも助けてくれる人がいるわけではない。
一人では生きていけない人間が出来上がってしまう。
一人でも強く生きれるから、人の痛みも分かり本当の優しい人
になるのではと思うのです。
今までの経験を全て消化しながら、強く生きて欲しい。
その事が未来の日本を強くする原動力になると思います。
私も病気と向き合い5年が経ち辛い気持ちは和らぎました。
5年前が最悪の状況でしたから。それよりも状況が悪くなる
事がない、と思えば少しづつ視点が変わります。
前を向いて歩く事。その事が大きな力を生みます。
周りの方もどうかその後押しをするほうへパワーを^^
-------------------------------------
最初に書いた特集番組は、まだ復興が進んでいない映像と
辛い気持ちの人達のインタビューばかりを集め、暗い音楽と
沈んだ声のナレーションを付けた内容でした。その後、見て
どう思いますかと問われた一人のゲストが話をしていました。
「復興が進んでいない事ばかりをクローズアップしているが、
5年目にふさわしい番組の作り方があるでしょう。初年度から
引きずって、できてないところばかりを取り上げているけれど
元気で前向きに頑張ってる人もきちんと取り上げてほしい。」
実際、復興事業に携わり今も個人で支援を行い続けているその人
の思いは、震災1年目で尋ねた現地の人たちの声と同じだと
感じていました。
「元気でこれからも頑張るから、また来て笑顔を見せて欲しい。
復興している姿を見せたいし、それが一番の励みになるから」
と^^
TV局でも特集番組が組まれていて、今の現状を見る
事ができました。
今日のテーマですが、あくまで私の経験から来る話です。
そうではないと思う方もいらっしゃるでしょうが、
気になっているので書いてみたいと思います。
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人は生まれた限り、いつかは別れが来ます。
それが寿命で、本来の順番であればまだ良いのですが
そうではない事も多いです。理不尽で一生許せない事や
受け入れる事ができない場合もあります。
病気や、不慮の出来事など・・。
残された家族は悲しみを背負って生きていかねばなりません。
ただ、その悲しみにきちんと立会い消化して、時間が経過
する事により、少しづつそれを受け入れる事ができます。
人は、辛さがわずかづつでも小さくなっていくものです。
そうでなければ過去のもの悲しみが積みあがるばかりで
生き続ける気力を保てないでしょう。
私は、死別こそしてないものの2歳半で両親がある日突然
目の前からいなくなり、祖父母に懸命に育てられました。
子供ながらに時折悲しくて泣く事はあった反面、それでは
真剣に向き合ってくれている祖父母に失礼ではと思うように
なり、泣くのをやめようと決意したのを覚えています。
また、大切な人の死に立会い(闘病期間を含め)葬儀に出て
別れを実感し、残された私を含む家族とその後向き合いました。
当初は自然と涙がこぼれてしまう事もありましたが、やはり
いつまでも悲しみに暮れていては故人がもし見ていたら辛い
のでは・・と感じながら前に進んできました。
人の痛みに比べれば、私はちっぽけなものだと思います。
ただ忘れるというのとはまた違うのです。辛い事に直面
した日を境に、その事を通して自分はどう生きるのかを
一つづつ考えていく日が始まるのです。
また、共感は嬉しいですが同情だけはされたくないのです。
そして、私も懸命に生きている人に対して「可哀想」とは
思いたくないのです。ただ、エールを送ることをしたい。
この言葉を切り取ると、非情な人といわれても仕方ありません
が、悲しみを乗り越えるのは結局本人次第なのです。
可哀想だと思われては、本人の悲しさを呼び戻すだけになる。
私が辛い体験の話もあえてするのは、消化する為なのです。
少しづつ受け入れて、それを乗り越える為。そしてその自分の
過程を含め、その事が誰かの役に立てばそれで良いのです。
また「可哀想」と思う事自体、相手の気持ちを汲もうとすれば
する程、その様な言葉は浮かんできません。
言う側が相手を蔑んでいることになるからです。
カラクリを書くと長くなるので、この事はまた別の記事で書こうと思います。
一方で、自分の経験をあわせて共感していただける方は、
自分の生き方や実体験と重ね合わせ、きちんと消化して
いる方だと嬉しく思うのです。同じようでも全く違うのです。
悲しみや挫折は終わりではなく、新しいスタートなのです。
人は何の為に生まれてきたのかを考えられる唯一の種です。
悲しみや、後ろ向きにすがってばかりでは前に進めません。
良いのですが、それが何年にも渡りそのように閉じこもるのは
前に進むのを避ける為の言い訳にしているようにも思えます。
また、本当に助けて欲しいと思う人には手を差し伸べても
「助けて欲しいといえば誰かが助けてくれる」と楽をしようと
している人には自分の力で進む事を促すようにしています。
そうでなければ、いつも助けてくれる人がいるわけではない。
一人では生きていけない人間が出来上がってしまう。
一人でも強く生きれるから、人の痛みも分かり本当の優しい人
になるのではと思うのです。
今までの経験を全て消化しながら、強く生きて欲しい。
その事が未来の日本を強くする原動力になると思います。
私も病気と向き合い5年が経ち辛い気持ちは和らぎました。
5年前が最悪の状況でしたから。それよりも状況が悪くなる
事がない、と思えば少しづつ視点が変わります。
前を向いて歩く事。その事が大きな力を生みます。
周りの方もどうかその後押しをするほうへパワーを^^
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最初に書いた特集番組は、まだ復興が進んでいない映像と
辛い気持ちの人達のインタビューばかりを集め、暗い音楽と
沈んだ声のナレーションを付けた内容でした。その後、見て
どう思いますかと問われた一人のゲストが話をしていました。
「復興が進んでいない事ばかりをクローズアップしているが、
5年目にふさわしい番組の作り方があるでしょう。初年度から
引きずって、できてないところばかりを取り上げているけれど
元気で前向きに頑張ってる人もきちんと取り上げてほしい。」
実際、復興事業に携わり今も個人で支援を行い続けているその人
の思いは、震災1年目で尋ねた現地の人たちの声と同じだと
感じていました。
「元気でこれからも頑張るから、また来て笑顔を見せて欲しい。
復興している姿を見せたいし、それが一番の励みになるから」
と^^