祖母は病室で眠っていました。布団を両手で顔まで隠して。
声をかけてもここ一週間位目覚めないそうで、目覚めた時は
一口二口おかゆを食べ、話しかければ多少会話もするらしい。
この日も眠り続けていたけれど「凛子だよ」と声をかけると
一瞬カッと目が開いて私と目がバッチリ合った。
その後、いやいやと首を振って猫パンチのように私をぺぺぺと
叩いて再び布団で顔を隠して目を閉じてしまった。
その後も恐らく耳は聞こえているのだと思うが、叔父や叔母と
話をしている間も目を閉じたまま瞬きのように少し目が
動いていたが、しばらくするとすうっと眠ってしまった。
あまり布団を被ると暑くて汗をかいて脱水症状になるから
と布団を引張って顔を出そうとしても、力いっぱい抵抗して
すぐに顔を隠してしまう。
--------------------------
祖母は、私が記憶がある頃からじっとしていない性格だった。
祖父は会社へ仕事に行っていたので、家の仕事は祖母がやって
いた。朝日が登ると畑に行き収穫や手入れをして、食事を作り
掃除洗濯をしたら昼食。
今のように便利なものはなかったので台所はおくどさん
お風呂は薪、朝から晩まで働かなければいけなかった。
夜は編み物や針仕事をしてお灸をすえていた。
とにかく働き者の祖母だった。
その頃も辛いなどの愚痴は一度も聞いた事がなかった。
10年ほど前に手術をしてからは畑仕事も家事もできなく
なったが、それでも来客があればきちんと起き上がり、身の回り
の事を手伝おうとしても自分でしたいと怒っていた。
これまでも入退院は繰り返していたが熱が下がり意識が戻ると
家に帰りたくて点滴を抜いたり、夜通し退院の準備をしようと
身の回りの片づけをして徹夜になり翌日は寝ていたそうだ。
また毎回目覚めると幼い頃の私の沿い寝をしていたが、いなく
なったと言っていたという。
--------------------------
今まではこんな様子だったが、年明けに熱を出し入院してからは
ほとんどご飯を食べれなくなり点滴だけになっているようで
トイレどころか起き上がる事もあまりできなくなった。
そして今はほぼ眠っている状態。少しづつ寝る時間が増えている。
幸い体のどこかが痛いわけではなのが救いだと思っている。
静かに、穏やかにねむり姫のように眠っている。
体の再生能力が落ちているのでテレビを見るために顔を同じ
方向へ傾けていたところの頬が床ずれを起こしていた。
足も、起き上がれなくなってから2ヶ月ほど経つので筋肉も
なくなり、靴下もゆるゆるの状態だった。
人見知りだから恥ずかしくて布団で顔を隠しているのだろう。
私の声で目覚めたけれど身の回りの世話をされたくないから
拒絶したのだろう。そんな感じだった。
まだそんな元気があるのなら少しは大丈夫なのかもしれない。
ただ、話すことも笑顔も見ることもできなかった。
声を出す事や目を開けることはとても体力がいることだと思う。
今回の入院では最後までねむり姫のままなのだと感じた。
話すことはできないけれど、やはり意識はあると感じている。
祖母は目を閉じて何を思って、何を感じているのだろう。
すっかり小さくなった体をさすり、頭をなでてみた。
私はため息をつきながら、土砂降りの雨のなか帰路についた。
そろそろ心の準備をしておかなければいけないのだろう。
これまで苦労をかけて小さな体で最後まで頑張ってきた
のだから、もう頑張らずゆっくり休んでいればよいと思う。
少しでも長く生きて欲しいと思うけれど、それまで穏やかに
今までの疲れを取るように眠っていて欲しいと思う。
ただ育ててくれた祖母がいなくなるのはやはり淋しい。
何もできないけれど、最後まで見届けていかなくては・・
声をかけてもここ一週間位目覚めないそうで、目覚めた時は
一口二口おかゆを食べ、話しかければ多少会話もするらしい。
この日も眠り続けていたけれど「凛子だよ」と声をかけると
一瞬カッと目が開いて私と目がバッチリ合った。
その後、いやいやと首を振って猫パンチのように私をぺぺぺと
叩いて再び布団で顔を隠して目を閉じてしまった。
その後も恐らく耳は聞こえているのだと思うが、叔父や叔母と
話をしている間も目を閉じたまま瞬きのように少し目が
動いていたが、しばらくするとすうっと眠ってしまった。
あまり布団を被ると暑くて汗をかいて脱水症状になるから
と布団を引張って顔を出そうとしても、力いっぱい抵抗して
すぐに顔を隠してしまう。
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祖母は、私が記憶がある頃からじっとしていない性格だった。
祖父は会社へ仕事に行っていたので、家の仕事は祖母がやって
いた。朝日が登ると畑に行き収穫や手入れをして、食事を作り
掃除洗濯をしたら昼食。
今のように便利なものはなかったので台所はおくどさん
お風呂は薪、朝から晩まで働かなければいけなかった。
夜は編み物や針仕事をしてお灸をすえていた。
とにかく働き者の祖母だった。
その頃も辛いなどの愚痴は一度も聞いた事がなかった。
10年ほど前に手術をしてからは畑仕事も家事もできなく
なったが、それでも来客があればきちんと起き上がり、身の回り
の事を手伝おうとしても自分でしたいと怒っていた。
これまでも入退院は繰り返していたが熱が下がり意識が戻ると
家に帰りたくて点滴を抜いたり、夜通し退院の準備をしようと
身の回りの片づけをして徹夜になり翌日は寝ていたそうだ。
また毎回目覚めると幼い頃の私の沿い寝をしていたが、いなく
なったと言っていたという。
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今まではこんな様子だったが、年明けに熱を出し入院してからは
ほとんどご飯を食べれなくなり点滴だけになっているようで
トイレどころか起き上がる事もあまりできなくなった。
そして今はほぼ眠っている状態。少しづつ寝る時間が増えている。
幸い体のどこかが痛いわけではなのが救いだと思っている。
静かに、穏やかにねむり姫のように眠っている。
体の再生能力が落ちているのでテレビを見るために顔を同じ
方向へ傾けていたところの頬が床ずれを起こしていた。
足も、起き上がれなくなってから2ヶ月ほど経つので筋肉も
なくなり、靴下もゆるゆるの状態だった。
人見知りだから恥ずかしくて布団で顔を隠しているのだろう。
私の声で目覚めたけれど身の回りの世話をされたくないから
拒絶したのだろう。そんな感じだった。
まだそんな元気があるのなら少しは大丈夫なのかもしれない。
ただ、話すことも笑顔も見ることもできなかった。
声を出す事や目を開けることはとても体力がいることだと思う。
今回の入院では最後までねむり姫のままなのだと感じた。
話すことはできないけれど、やはり意識はあると感じている。
祖母は目を閉じて何を思って、何を感じているのだろう。
すっかり小さくなった体をさすり、頭をなでてみた。
私はため息をつきながら、土砂降りの雨のなか帰路についた。
そろそろ心の準備をしておかなければいけないのだろう。
これまで苦労をかけて小さな体で最後まで頑張ってきた
のだから、もう頑張らずゆっくり休んでいればよいと思う。
少しでも長く生きて欲しいと思うけれど、それまで穏やかに
今までの疲れを取るように眠っていて欲しいと思う。
ただ育ててくれた祖母がいなくなるのはやはり淋しい。
何もできないけれど、最後まで見届けていかなくては・・