オリンピックエンブレムの公募について、広く国民から
意見を集めるという方針が出されました。

やり方を間違えなければ良いことだとは思いますが
個人的にはそこまでする必要は今回なかったのではないか?
と感じました。

日本人は元々「知的財産」の概念が低い国です。
アイディアを含め著作権と同じように、その人が考えたものは
形があってもなくても立派な財産ですので権利保護をしなければなりません。

論文のコピペ問題も潜在的にはもっとあるでしょうし
エンブレムのような他人のものと酷似しているものを意図的にコピペ
している場合と、無意識にしている場合と両方あるでしょう。


また、一般的な会社でも部下の手柄を自分の手柄と称したり
他人のものを勝手にパクって自分のものにしてしまったり。
また、1つの商品がヒットすると次々類似したものを出す
(二番煎じですね・・)このような事は日常で行われています。

だから形のない(もしくは簡単に複製できるもの)は自分のもの
にしても問題ないという認識が根付いている証拠です。


今回は、そのパクリ事件を踏まえ広く公募することで
お墨付きを得たい。国民から支持を得たい・・
という気持ちも分かります。

ただ、100%支持を受けるというものはないでしょう。恐らく
複数候補の中となれば、多数決となるのでしょうし・・。

タイトルの「衆知を集める」という言葉は日本を象徴している
言葉です。例えば商売では、ヒットする為には沢山のユーザーの
支持を受けなければ大量に売れない。
会社の意見も様々な職責や役職の人に広く意見を求めることは
決して悪いことではないと思います。

ただ、それをやろうと思う人の軸がぶれていてはそれは危険な
行為になります。沢山の意見を聞くほど流されてしまうのです。
答えが決まらない。もしくは自分の思いと異なる答えになる。

また軸(思い)がない場合は、今度は民衆に責任を負わせて
しまうことになります。政治の話には絡みたくありませんが
民主○という名前自体、民が主体で自分が責任を負う姿勢が見られない。
都合の良い名前だと思います。

エンブレムの公募の場合、結局はそのオリンピックの運営者の
思いがそのデザインで一目で伝わるかだと思います。
思いが伝わらず広く意見を募っても良い結果にならないでしょう。

また占いの話になりますが、一度きりで答えをみてもらうなら
まだしも、何度も色んな人に聞きまわるほど答えはわからなく
なりますよね。

衆知を集めるというのは、ただ収集するだけではなく
収集する際に思いを予め入れること、もしくは自己実現のために
同じ思いの人を集める(説得する)などのほうが近いかも
しれませんね。そうでなければ大きな物事は成し遂げられません。

公募、意見徴収が結果日本のオリンピックにふさわしい答えに
たどり着くことを願うばかりです。