幼少の頃に育ててくれた祖母は10年ほど前から
ある病気で2度ほど手術をし全身麻酔をしました。
高齢者の全身麻酔は認知症を進行させてしまうそう。
80歳を過ぎてもじっとしているのが苦手で、早朝から
畑に出たり、お針子やかぎ針編みなどをしていたり・・
私が子供の頃はとにかく厳しい(厳格な)祖母でしたが
術後から段々と家仕事をすることもなくなり、食事も
火をあつかうのが危ない為訪問介護の方が来られたり・・
少しづつ年老いていくのを見るのが辛い状況でした。
それは今も進行しており入院の頻度も多くなってきて
寝ている時間が長くなるほど段々と記憶が薄れていくようです。
ただやはり私を育てたという記憶は祖母のなかでとても
強く残っているようで、身内の顔も段々と忘れていく中
私の顔は覚えているようで会いに行くと笑顔になってくれます。
入院をしているある日、叔父から電話がかかってきました。
夜中に私の名前を呼んでいるとのことで電話で話すこと
しかできませんでしたが今の祖母は私が来たばかりの
3~4歳頃同じ布団で寝かしつけていた頃にいるようで、
私が布団に居ない!と言うことで騒いでいたそうです。
また入院中に点滴を引き抜き夜中に居なくなり大騒ぎに
なったことも何度かありますが恐らく目が覚めて自宅では
ない為、家に帰ろうと思い抜け出したのだと思います。
通常で考えれば理解できない行動も全て理由があるという
事は分かってきました。
そして言葉が段々と出なくなってきていたり同じ話を
5分毎に繰り返していますがその内容は祖母が若い頃の記憶
でした。認知症が進むにつれ新しい記憶よりも古い記憶が
強くなっていっているようです。
それが新しいものを忘れているかどうかまでは解明されて
いません。そして辛い記憶ではなく強く印象に残った記憶
の話が多いのです。
祖母もまた日々記憶の旅をしながら今までの生き様を
租借して振り返っているのかもしれません。
とある方のブログで紹介されていた100歳を超える方の対談
のお話を読みながら祖母のことを考えていました。
認知症でなくても、まっすぐ向き合って生きていればやがて
記憶の旅をする。限りなく「無」になっていくそうです。
旅の終わりが近い頃には穏やかに、ただ毎日を過ごす。
欲も我も何もない澄み切った心になっていくのだと。
それは自然なことなのでしょうね。
祖母も少しづつ過去を遡っています。もしかすると子供の
頃までたどり着いているのかもしれません。
人は生まれてからもがいて葛藤しながら生きています。
そして自分に嘘をつかずまっすぐに生きていることで
やがて自然と今までの道を振り返るときがやってくる。
私の知る祖母は昔堅気の人で自分に対してとても厳しい
人でした。その祖母のお陰で私が生きていると思います。
でも苦労をかけてしまったから、記憶の旅を始めてしまった
のではないか・・そんな風にも思います。
祖母は今過去に戻り生まれる前まで戻ろうとしています。
記憶を忘れていくことは私にとっては悲しいことですが
辛い事も苦しみも忘れていくのならば、その人にとって
それはある意味幸せなことなのかもしれない。
生まれる瞬間もしかしたらお腹の中にまで遡りきった時
一つの生きた道が全て繋がって次の旅にでる準備が整う。
それがいつなのかは分かりませんが、その旅を最期まで
見守っていきたいと思います。
ある病気で2度ほど手術をし全身麻酔をしました。
高齢者の全身麻酔は認知症を進行させてしまうそう。
80歳を過ぎてもじっとしているのが苦手で、早朝から
畑に出たり、お針子やかぎ針編みなどをしていたり・・
私が子供の頃はとにかく厳しい(厳格な)祖母でしたが
術後から段々と家仕事をすることもなくなり、食事も
火をあつかうのが危ない為訪問介護の方が来られたり・・
少しづつ年老いていくのを見るのが辛い状況でした。
それは今も進行しており入院の頻度も多くなってきて
寝ている時間が長くなるほど段々と記憶が薄れていくようです。
ただやはり私を育てたという記憶は祖母のなかでとても
強く残っているようで、身内の顔も段々と忘れていく中
私の顔は覚えているようで会いに行くと笑顔になってくれます。
入院をしているある日、叔父から電話がかかってきました。
夜中に私の名前を呼んでいるとのことで電話で話すこと
しかできませんでしたが今の祖母は私が来たばかりの
3~4歳頃同じ布団で寝かしつけていた頃にいるようで、
私が布団に居ない!と言うことで騒いでいたそうです。
また入院中に点滴を引き抜き夜中に居なくなり大騒ぎに
なったことも何度かありますが恐らく目が覚めて自宅では
ない為、家に帰ろうと思い抜け出したのだと思います。
通常で考えれば理解できない行動も全て理由があるという
事は分かってきました。
そして言葉が段々と出なくなってきていたり同じ話を
5分毎に繰り返していますがその内容は祖母が若い頃の記憶
でした。認知症が進むにつれ新しい記憶よりも古い記憶が
強くなっていっているようです。
それが新しいものを忘れているかどうかまでは解明されて
いません。そして辛い記憶ではなく強く印象に残った記憶
の話が多いのです。
祖母もまた日々記憶の旅をしながら今までの生き様を
租借して振り返っているのかもしれません。
とある方のブログで紹介されていた100歳を超える方の対談
のお話を読みながら祖母のことを考えていました。
認知症でなくても、まっすぐ向き合って生きていればやがて
記憶の旅をする。限りなく「無」になっていくそうです。
旅の終わりが近い頃には穏やかに、ただ毎日を過ごす。
欲も我も何もない澄み切った心になっていくのだと。
それは自然なことなのでしょうね。
祖母も少しづつ過去を遡っています。もしかすると子供の
頃までたどり着いているのかもしれません。
人は生まれてからもがいて葛藤しながら生きています。
そして自分に嘘をつかずまっすぐに生きていることで
やがて自然と今までの道を振り返るときがやってくる。
私の知る祖母は昔堅気の人で自分に対してとても厳しい
人でした。その祖母のお陰で私が生きていると思います。
でも苦労をかけてしまったから、記憶の旅を始めてしまった
のではないか・・そんな風にも思います。
祖母は今過去に戻り生まれる前まで戻ろうとしています。
記憶を忘れていくことは私にとっては悲しいことですが
辛い事も苦しみも忘れていくのならば、その人にとって
それはある意味幸せなことなのかもしれない。
生まれる瞬間もしかしたらお腹の中にまで遡りきった時
一つの生きた道が全て繋がって次の旅にでる準備が整う。
それがいつなのかは分かりませんが、その旅を最期まで
見守っていきたいと思います。