会社には定年がある。
今いる組織は平均年齢が高いため毎月のように卒業される方を見送る。

今月は私の上司が定年を迎える。

送別会をしたけれど、あちこちで送別会をされている中
始まる前から「今日の会が一番嬉しい」と言っておられました。

その上司は全国から「書類が舞う」「怒鳴りちらされた」と
恐ろしいと有名だったが実際接してみるとそんな事はなかった。

ただ、送別会で部下が送る言葉を話すと段々と恐怖だった話が
ゾクゾク出てきて本人にぶっちゃけ会となったが大いに盛り上がった。


最後に送られる上司が「今まで沢山の人の定年に立ち会い送る側だった。
今日は送られる側、これは一度だけ」
と噛みしめるように話す姿に何か胸にグッとくるものを感じた。

日頃から定年した後の事を気にされていたから、自分が
いなくなる時のことを心配して皆に厳しくしていたように思う。

年功序列で行けば私もこれから沢山送ることになるだろう。

やりたい放題やって、あとを濁しまくって去る人もいたし、
最終日の夕方まで会議まで参加し悔いが残らないようにと
頑張られる方もいた。

あまり突然仕事がなくなると心に穴が空くから、
身体の事を思うと段々と部下に任せ徐々に力を抜き
定年前にインターバルがある位の方がよいかな。

送る側はそんな様子を見ながら明日からの生き方に投影していく。


送ることも大切なこと。

送られる側も安堵し、送る側は学びながら送られる準備をしていく。
少し、人の一生を思い出した。

私はそのときが来たら、どんなことを話すのだろうか。