先週、中一の子が親に相談できず、遺書を残して
日曜日の夕方電車に飛び込み自ら命を絶った
ニュースを見た。まだほんの子供だ。

子供がそこに行きつくにはよほどの理由が
あったはず。控えめなシグナルは出ていたの
かもしれないが気づけなかった。

生活をしていれば、たとえ一人暮らしでも
必ず人と関わらなければ生きていく事が
できません。
絶とうとするには相当な労力が必要で、
最小限にできても通常はゼロにする事は
できない。究極は無人島かなぁ。

現代人の主な悩みは「仕事」や「学校」
「家庭」や「お金」だったりしますが、
根本を紐解くと「人間関係」に行き着く
ことが多いかもしれません。


私は、学校ではなく家庭でした。過去親から
何年にも及ぶ精神的圧力と暴力に耐えかね、
自分から身を引き1人で生きる事を決断し、
中学卒業と同時に、遠い地域の全寮制の学校へ
進学する事を口実に強引に家を出ました。

校区内の高校に行けとの一点張りだった親は
条件として学費も寮費も出さないし、
あなたとの関係は単なる戸籍(書面)上の
関係だけだからと言われたのは15歳の時。

再婚相手の父方の実家に引取られた後、
私は何年も義祖父母や実母から執拗な圧力を
受けていました。

唯一安らげるはずの家は地獄絵図のような
毎日が絶望の中にいて、子供ながらに
どうすればこの状況を解決できるかを
必死でもがきました。

場合によっては最悪の事もありえたかも
しれないし(私にはその手段は全く思い
つかなかったけれど)自分が命を絶つ
という選択も考えた。

ただ、幼少の頃に私を引き取って育てて
くれた母方の祖父母の事を思うと
何とか生きて、しかも誰にも迷惑を
かけない方法はないかと考えた末
先述の行動に出る事にしました。

子供にとっては親が絶対的な存在であり、
そこから逃れることは生きる事そのものが
危うくなるほど重いことだ。
私もそれほどの覚悟もあった。

ただ、義父が知らない家族の圧力を
報告することはできなかった。
(義父なりに責任を持って私を育てよう
 という思いを感じていたのかも)


そして、学校を卒業後は一人暮らしを
始めるのだが、私の時代には周りの見知らぬ
大人たちまで父親、母親のように皆で
余計な世話を焼いてくる。

当時は迷惑をかけたくないし、自分一人で
生きれるとイキがっていたけれど、
振り返るとその人達のおかげで私は正しく?
ここまで生きてこれたのだと思う。


時間は平等だから、その間に何を経験するか
だけの違いなのだけれど、
両親の元で平凡な人生を歩んでいたら
今の私はなかったので結果良し、と思います。

やはり、苦労したり痛みを体感しなければ
本当の事は分からない。
またその時、何を思うのかによって
大きな差が出ると経験上感じます。


物事には必ず「結果」があり「終わり」もある。

嵐を耐え忍ぶ石のように身を縮めていれば、
その場をやり過ごせるかもしれないけれど、
それは立ち止まっているだけで
出口に出たわけではない。

だから、同じ事が起こってもまた
同じ苦しみを味わう事になる。
何か行動に出れば、今まで見えなかった
道が見えてくる。

諦めたらその時点で終わる。
出口は自分でしか探せない。
出口を探すヒントは原因(入口)を
探ることから始まります。

私は、運命は変えられなくても
来る「課題」は越えられるものだと思います。
越えられない課題は来ない。少し困難でも
いずれ越えられる。
それが何年、何十年かかっても。

方法はいろいろで、解決や結果を出すこと
かもしれないし、「気づく」事かもしれない。
自分の心と折り合いがつき(手放すとも言う)
見方が変わることで環境は変わらなくても、
なんてことないものになるかも。
その出口も人ぞれぞれです。

私もまだ越えていない大きな壁があります。
焦らず、背負い込まず・・
最後まで一つづつ向き合っていきます^ ^