日本は大きく分けて3つの領土問題を抱えています
対ロシアの北方領土問題、対中国の尖閣諸島問題、対韓国の竹島問題です
それぞれに性格が違うのが面白いところです
北方領土問題…第2次大戦の終結間際に旧ソ連が日ソ中立条約を破棄して侵攻・占領されたのが発端
日ソ中立条約は5年+5年の契約で、最初の5年の期間が終了する1年前までに破棄を通告しないと+5年自動延長される内容になっていました
1941年の条約締結なので1945年4月からの1年間に延長しない意思を示さないと自動的に延長される事になっていたのですが、この4月にソ連側は当初『破棄』を通告してきました
日本側に「いやいやwそれおかしいからww」と突っ込まれてソ連側も間違いに気付き、延長しない旨の通告に変更し46年4月まではこの条約は有効という確認がなされていました
しかしカイロ宣言~ヤルタ会談などに於いてソ連の対日参戦は既定路線となっており、45年8月の日本の敗戦間際になって突如ソ連は条約破棄を宣言し日本に宣戦布告をします
連合国の対枢軸政策として戦争による領土拡大を認めないとする方針があり、ソ連は有効期間内での不当な条約破棄と戦争による領土の拡大という二重の背信行為を行ったわけです(もっともソ連は『連合国』ではないのですが)
カイロ~ヤルタ~ポツダムではソ連の対日参戦を促す見返りとしてルーズベルト大統領はソ連の要求、つまり日露戦争で失った領土の回復を認めていました
しかしこの会談でルーズベルトがスターリンと行った内容は宣言に反映されない秘密協定であり、法的な効力がない個人の約束と考えることができます(後にアメリカ自身がそう言っています)
さらに北方領土の実際の侵攻と占領も日本側は45年8月15日を終戦としていますが、降伏文書に署名したのは9月2日のことであり国際的な認識ではこちらが優先されます
ソ連の条約破りと戦争での領土拡大が法的根拠のない「勝者の論理」で正当化されたとしても、北方領土の内「歯舞・色丹」の2島についてはその占拠は9月2日以降であり第2次大戦とは関係のない唯の侵略行為になるわけです
ソ連~ロシア側にもそうした認識はあるらしく、日本との交渉に於いては『百歩譲ってこの2島は返す事もあり得る』というのがロシアのスタンスであるようです
いわゆる「2島先行返還論」の根拠となるものです
こうした事から日本側は2島『先行』返還と称していますが、ロシアはそれが最終決着と認識している為迂闊な交渉ができないのが問題なのです
またスターリンがルーズベルトに『個人的に』約束させた『日露戦争での失地回復』ですが、ロシアが日露戦争で失ったのは樺太の南半分で、北方領土と千島列島はポーツマス条約の前の『千島樺太交換条約』で正式に日本の領土としてロシアも認めていた筈です
さらに9月2日の終戦というタイミングも日本と連合国の関係であり、連合国の括りではないソ連が縛られる事はなく、後のサンフランシスコ条約も同様です(ソ連は当初参加しなかったポツダム宣言は後に加わっており、日本がその受諾による戦闘停止と降伏文書の調印はソ連に対しても有効とも言える)
日本とロシア(旧ソ連)の間には1956年の日ソ共同宣言で国交は回復されているものの国境問題の確定は先送りにされたままとなっており、実は両者の間における国境線を定めた国際条約としてはポーツマス条約が未だに有効と考えられます
よって同条約によって千島列島全体と樺太南半分は今も日本の領土になるのです
ただSF条約で日本は千島列島・樺太の領有権も放棄しているのですが、ソ連・ロシアはこれに加わっていない為ロシアは法的にこれらの領有を主張できずただ実効支配しているにすぎないのです
このSF条約に従えば千島列島+樺太南部は現在は誰の物でもない『無主地』という事になります
しかし北方4島はSF条約でも日本の領有の範囲内と認められているので、はっきりと不法占拠状態にあるといえるのです
尖閣諸島問題…尖閣諸島の帰属問題ですが、この島々が歴代中華王朝の支配下にあった事実は1度としてなく中国側の主張には何の根拠もありません
中国がこれを言い出した理由は大きく分けて2つ
1つは海底資源ですが、もう1つは軍事的なことです
中国は東シナ海に核戦争に備えた報復戦力である戦略原潜(長距離ミサイルを発射できる潜水艦)を配置しアメリカへの抑止力としたいのですが、これを米軍が手出しできるような場所に置いておきたくはないのでその外側に攻撃型潜水艦を置いて外郭防衛線を作りたいのです
これが彼らの云う「第1列島線」(原潜配置)・「第2列島線」(攻撃型潜水艦配置)の海洋戦略であり、この実現の為には日本の位置と日米安保が致命的に邪魔なのです
そして尖閣問題はこれを突き崩す蟻の一穴になる為、アメリカこそ引く訳にはいかない問題なのです
尖閣が奪われれば次は沖縄が奪われるでしょう
沖縄の新聞メディアがすでに中国の走狗となって米軍基地消滅や独立を訴えていますが、沖縄が独立して戦力の真空地帯になったら次の日には人民解放軍がやってくるでしょう(沖縄独立を煽っている沖縄の新聞社などは真っ先に弾圧の対象となるでしょう。独裁政権というのは自分に牙を剥かれるのを怖れるため、例え味方であっても“内通者・裏切り者”を信用しません)
もしくはチベット方式でまず中国移民を大挙送り込み、彼らに沖縄の政治経済を乗っ取らせて独立させ中国に帰属させる事も考えているでしょう
その次は九州で、最終的には日本を乗っ取る気でいるのが中国という国です(妄想乙と思われるでしょうが中国は2000年前の華夷秩序や春秋戦国時代の論理から全く進歩や成長していない国です。)
竹島問題…これも尖閣問題に似て歴史上一度として歴代朝鮮王朝の支配下にあった事実はないのですが、終戦直後の混乱期に火事場泥棒的に韓国が奪い現在に至っています
この竹島問題というのはちょっとややこしい事情が存在します
と言っても政治上とかの問題ではなく、名前の変遷がややこしいという事なんですが
まず上の地図をよく見て理解しておいて下さい
そしてこっちが鬱稜島です。右側に見える小さい島は竹嶼という付属島です
これが竹島です
混同を避けるため色分けをします
韓国でもっとも古い公式な歴史書は1145年の『三国史記』ですが、これに512年に『于山国(島)』が新羅に服属したという記述があります
于山国(島)は別名を鬱稜島といい、これは朝鮮本土沿岸から沖合あった為なかなか服すことがなかったという記述は、その位置的な特徴と合致するので現在の鬱稜島と同じと考えて間違いないでしょう
この于山島はその後も本国の支配が及びにくく前後期の倭寇の拠点となっていました
前期の倭寇は日本人によっても行われていましたが当時から相当量の朝鮮人が倭人を騙って自国を襲っていた事も知られています(成りすましはこの時代からw)
李氏朝鮮時代にもこれに手を焼き(この時期はほぼ全て朝鮮人による“成りすまし”倭寇)、鬱稜島を無人化する対策を実施します
この空島政策は15世紀前半から19世紀末まで行われます
それ以前から日本の漁民などが鬱稜島に赴き漁や竹などを採集しており、この為に日本側では『竹島、磯竹島』等と呼んで実効支配していたのです(同時期の『竹島(現)』は『松島』と呼ばれていました)
竹を取りに来たから竹島なら、松も生えてないのに松島等と云うのはおかしいだろ、というのが韓国の主張なのですが、日本人なら松竹梅の並びだとすぐに分かります(それが分からないのは漢字の読めない…あっ!?)
17世紀末に朝鮮の漁民 安龍福が『竹島』(鬱稜島)で密漁を行っているのを日本人が発見、その身柄を取り押さえ日本に連行します
安龍福は鬱稜島と于山島は朝鮮の物であると主張、日本と朝鮮の間で領土問題となります(竹島一件、この事件の交渉役を担った対馬の宗氏は双方に玉虫色の主張を行っています)
この時の『鬱稜島と于山島』という主張が現在に至る竹島問題の発端と言えます
と言っても安龍福はただの漁民に過ぎず、彼の主張・証言はこの時の日朝の領土問題交渉に『全く』影響を与えていません
安龍福は解放されて帰国後に自国によって流罪に処されており、当時の朝鮮に於いても彼は空島政策を破った罪人だったのです
先述の三国史記の記述にある通り『于山国(島)』と『鬱稜島』は同じ島を指すのですが、安龍福がこの発言を行ったという事で「この2つって別の島なんじゃないの?」との認識を現在の韓国人に持たせてしまったのです
さらに1877年の太政官指令により竹島ほか1島を日本の領土としないとの確認を発表します
韓国側はさきの安龍福の主張と合わせて捉え「『于山島』は日本の云う『松島(後の竹島)』の事であり、17世紀の安龍福の時代からその認識があり19世紀の日本政府もこの島は日本領土では無いと認めている」根拠としています
しかしこの時代まで日本の云う『竹島』は『鬱稜島』を指しており、ほか1島は竹嶼のことを指すと見るべきです
ついて来れてますかぁ~~~?(ね?ややこしいでしょww)
竹島(韓国名:独島)
竹島(現)は見て分かる通り唯の岩礁であり、人の住めるような地ではありません
日本が活用するにも鬱稜島へ渡る時のランドマークか、この海域で漁を行った時に嵐に見舞われた場合の避難場所くらいの価値しかありません
朝鮮側にとっては何の価値もないし、歴史的に活用した事実もない岩礁です
朝鮮が公式に日本に来る時は対馬経由で来ますし、鬱稜島すら空島にしてるのにその90km先にある人の住めない竹島に来る理由がないからです
先の安龍福にしても『于山島』=『松島(現・竹島)』だと主張しましたが、その位置を指し示すことが出来なかったと言います
現代の韓国の主張でも『于山島』=『竹島』としていますが、自国の史書にある『于山島』=『鬱稜島』との齟齬については口を噤んでいる状態です
彼らは鬱稜島・于山島・松島・竹島の名前の変遷による錯綜に乗じて、自らに都合が良いように『竹島』の位置を置き換えているのです
また漢字廃止によって竹島(独島)の名を使う時にハングルで表記し混同を誘い、自国民をミスリードしているようです
朝鮮では鬱稜島の横にある観音島又は竹嶼に『石島又は岩島』の名を使っていましたがハングル表記での発音が共にトクトになり、後の独島のハングル表記・読みであるドクトに似ている事から鬱稜島の一部である石島・岩島は独島の事だと言っているのです
漢字を使えば独島と石島岩島が別物なのは一目瞭然ですが、表音文字であるハングルを読むだけだと同じ様に聞こえる、ただそれだけを根拠にしているわけです
この時代における『竹島』は日本では鬱稜島を指しますが、朝鮮では鬱稜島の横にある『竹嶼』を指す名称として使われており、石島・岩島はその近辺にある観音島の名称として使われてもいました
それがいつの間にか竹嶼=石島=岩島となり、現代の韓国では石島=独島になってしまっているのです(これらの矛盾を一気に解決するのが反日バイアスというわけですw)
日本では竹島の名は鬱稜島と現・竹島の間で移動しただけですが、韓国の場合あちこちの島を行ったり来たりした上に何処にあるのか把握していない島まで「何処に在るのか知らないけど、それがきっとウリの島ニダw」と言っているのです
ちなみに「(鬱稜島が)竹が取れるから竹島」と日本人が云うなら、「(現・竹島に)松が生えてないのに松島っておかしいだろ」という韓国ですが、じゃあ独島って何の由来?と聞いても彼らには答えられません
<ヽ`∀´>「洋上に浮かぶ独りぼっちの孤島だから独島ニダw」
(; ´∀`) 「東島と西島の2つに分かれてるんだが」
1905年1月に明治政府は『旧・松島』を無主地として日本に編入する閣議決定を行い、正式に『竹島』と名付けます(色々な呼称のあった鬱稜島を正式に鬱稜島と規定し、この時代まで鬱稜島を指していた竹島の名を正式に旧・松島に適用したのです)
これも公式に発表しない秘密裏の閣議決定だったことから韓国側は『盗んだ』と主張しています
しかし竹島の場所を見ると周辺にあり領有権を主張する可能性のある国は日本・韓国(当時は大韓帝国)・ロシアの3国しかない事が分かります
日本は前年の1904年から日露戦争を戦っており、また第1次日韓協約によって韓国政府は日本から財務・外交顧問を受け入れてその助言(事実上は承認)を受け容れており、韓国は独自の外交権のない実質上の保護国になっていました
つまり日本にしてみれば戦争中の相手であるロシアに「この島貰うけど良い?」などと聞く訳がなく、外交権のない韓国にもことわる理由がなかっただけなのです
この後、1910年に韓国は日本に併合を申し出て日韓併合となっていきます
( ・ω・) 「長いので1回切りますお」