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山本五十六www

最近映画にもなった、言わずと知れた日本海軍の連合艦隊司令長官です

評価の分かれる人物ですが、当時の軍人としてはかなり有能な方といって良いんでしょう

士官学校を優秀な成績で卒業した後、少尉として日露戦争の日本海海戦に従軍し左手の指2本を失う重傷を負っています(タクシーに乗る時左手を広げて「これで頼む」と料金を提示しながら、残っている指3本分のお金しか払わないという落語のようなネタにしていたそうで。また、得意な芸は逆立ち)

その後は海軍軍人としてのキャリアを順調に重ね軍政畑へと転じます

ロンドン軍縮条約に参加、個人の意とは裏腹に政府の方針で条約破棄の強硬路線を主張することになりました

当時の世界情勢としては、第1次世界大戦で欧州経済は疲弊した上に世界恐慌の影響もあり世界は軍拡競争などやっていられない状態でした

しかし日本海海戦と第1次大戦によって戦艦の存在価値が注目された事で列強国の間には箍が外れたような建艦競争が発生していました(列強ではないオーストラリアやニュージーランドまで戦艦を持とうとしたくらいの世界的な流行でした)

日本でも八八艦隊などという贅沢な海軍力の整備計画が進められ危うく国家財政を破綻させるところだったので、ロンドン条約やそれに先立つワシントン海軍軍縮条約は日本にとっても有為なものだったのです

しかしこの条約は日本国内では弱腰と取られ、新聞などは軍と政府を非難し日本を後の戦争へと追い込んでいきます

海軍内にも条約派(国際協調路線)と艦隊派(強硬路線)の対立を産み、暗闘寸前にまで発展することになります

日独伊三国同盟にも反対した山本は条約派の筆頭と見られたことで、テロの標的にされるのを怖れた米内光政ら盟友の配慮で連合艦隊司令長官の任に就きます

本来、軍政でキャリアを積んできた山本が現場のトップに立つ事は異例だったのですが、軍官僚として陸に置いておくと壮士を気取った阿呆に殺されてしまう懸念があり、一般人には手を出せず軍内の不満分子も軽挙に出にくい艦隊の中に避難させたのでした

後はご存知のように(?)、対米戦が不可避なら真珠湾攻撃による決戦を主張しその作戦の立案と指揮をとり、1943年4月前線視察の機上において待ち伏せた米軍機の攻撃を受け戦死しています

この人の発言として有名なのが「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」や「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」などのおっさんが好きそうな経営学もどきの格言です

ですが私は関東大震災の時に当時欧米視察行でロンドンにいた山本が動揺する周囲に語った「日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する」の言葉の方が好きです

表面的に見ればウリナラマンセーな根拠に乏しい精神論でしかありませんが、自分の国の未来を信じている者は国難の時にも悲観主義に捕らわれたりしない、自身に言い聞かせる言葉だったと思っています


あと3週間ほどであの震災から1年を迎えます

直前に緊急地震警報を聞き、震源から数百km離れた場所ですら大きな揺れに見舞われ、テレビに映る津波の映像に呆然とし、ネットやケータイが不通となり、翌日からは相次いで爆発する原発にこの国は終わってしまうんじゃないかと怖れ慄いていた当時を顧みながら山本五十六のこの言葉を思い出しました





( ・ω・) 「もう1年かお…」