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(空白)

空白を埋めるという所作。
満たされたいという欲求。


空白には失われたものと元々無いものという2つの形があると思う。そしてその「空白」という記号の背景には、故意性に基づかない限り、どちらの形においても「埋められるべきもの」というニュアンスがあるように感じる。感じるというか、僕はそう思っている。

例えば、記入欄を示す枠内に存在する空白はまさに「埋められるべきもの」であるし、三角形の一辺をえぐるような空白は、三角形を意識した時点で「この三角形は一部失われている」という印象を与え、同時にそれは「埋められるべきもの」という印象を生むのではないだろうか。


僕は自分の心をビジュアル化する時や、人生や、時間・空間を考える時、「空白」という概念を強く意識する。僕は空白を恐れる。何かで埋めたい、塗りつぶしたい、という欲求が膨らむ。当然、その素材となるものが自己内に存在している可能性は低い。失われているか、或いは元々無いのである。だから外界で探す。空間を埋める人、もの、時間。そういったものを貪る。その時僕はあくまで利己主義者であり、人を殺さない殺人者のようなものだ。


そういえば、イスラム芸術は古来から極端に「空白」恐れていた。絵の内容を問わず、キャンパスの空白を狂ったように装飾で埋めていた。建築もそうだ。建物を取り囲む壁の一切にすきまなく装飾が彫り込まれていた。確か、空白からは魔物が侵入してくるとかそういう思想に基づいていたように思うが、もしかしたら「満たす」という行為そのものに意味があるのかもしれない。

ピタゴラスは「宇宙は音楽で満たされている」と考えたし、デカルトだか誰かは「真空」を認めなかった。実際に空間は何かで満たされているし、瞬間瞬間を何がしかが占有している。エーテル理論を信じてる人だって未だにいる。関係ないかも知れないけど。


空白を恐れるのは、満たされ、充たされたいからだ。もちろん、「完全に充たされた心」とか「完全に満ち足りた人生」なんてものは幻想で虚構でうそっぱちで茶番だ。むしろ大切なものから消えてく。空白は広がるいっぽうだ。

それでも空白を埋める所作、満たされたいという欲望は消せない。人はないものねだりだ。僕はまだ子供だ。利己主義な殺人者だ。こんなところで自分の幼稚さや利己性を晒すこと自体が幼稚で利己的だけど、これは自分の犯してきた数え切れないの罪への弁明であり、身勝手に赦しを乞うものです。僕は僕のままで進んでいきたいのです。