先ほど、テレビのチャンネルを変えていたら「サマーレスキュー」というドラマに目がとまった。というのも、昔友達がバイトしていて、その友達を訪ねて行った山小屋に似ていたからだ。
外階段があること、外階段のペンキの色、診療所があること、などなど、見れば見るほど「三俣山荘」に見える。まず間違いないだろう。

もう、かれこれ20年くらい前の話になるが、当時の記憶が蘇ってきた。

確か行程は
一日目 (移動)
二日目 (晴) 高山-(バス)-新穂高-双六小屋 夜、山小屋の人たちがギターを弾いていたのが聞こえた。
三日目 (昼前から小雨) 双六小屋-三俣山荘(昼頃着) 宿の人と飲む
四日目 (晴) 小屋の手伝い 薪割り等 へりが到着 持ってきたウィスキーを宿の人と飲む五日目 (雨) 小屋の手伝い(朝食作成)-昼頃出発-鷲羽岳-水晶小屋(一泊) 宿泊客1名(前日三俣山荘に泊まっていた人)と小屋番と3人で飲む。
六日目 (小雨) 水晶小屋-(真砂岳)-湯俣温泉 青嵐荘 他のお客さん(ご夫婦)と飲む
七日目 (晴) 小屋出発-高瀬ダム-七倉ダム-(バス)-信濃大町-(電車)-松本(サウナに)-帰路につく

当時は非常に健脚だった。山の装備なんかよく知らす、Gパン&スニーカー。そんな奴初めて見たと言われた。今なら3000mに近い山にそういう装備で登るのは自殺行為だと思うが、若さ故か。実際、天候が悪ければ死者も出るようなところですもの。運が良かったとしか言えない。
山の上では天候にはあまり恵まれなかったが、晴れた日は素晴らしかった。空の色が全く違い、透き通っていて空気も爽やか。周囲の自然も、本当にナチュラルとしか言いようがない状態で、カメラのシャッターを押すより心に焼き付けることにした。夜は日本にもこんなに街の灯りとは無縁なところがあるものかと正直驚いたし、こういう太陽と共に生活できる生活もいいなと思った。

さて、私ごときの昔話はあまり興味はないだろう。
当時の記憶だが、この山小屋は、山小屋としては恵まれた条件にある。
・近くにわき水がある。(通常、山では水は大変貴重なもの)
・物資はヘリコプターで運ぶことができる。(通常はボッカと呼ばれる人が人力で運ぶ)
・郵便物は届かないが、電話はある。(時間帯によるらしい)



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黒部の山賊という本がある。三俣山荘のオーナーの伊藤正一さんが書かれた本で、黒部の山奥に昔から暮らしていた人たちの話を書いたものだが、この山荘で読んだ(上記は復刻版で、元は昭和30年代に書かれたもの)。


私が行ったときには紹介されていた「山賊」は1名だけご存命であり、上記の五日目に小屋から鷲羽岳へ向かっている姿を見たその方(確か、鬼窪善一朗さんという方だったかと)が「あいつに水晶(小屋)へ水運ばせるんだった」とおっしゃっていたそうな。

当時は若くて脚力も相当あった頃です。当時を懐かしく思い出しました。

次回からもそれ目当てで見るかも知れません。