今の世の中、大手のIT関連の仕事をしていると「内部統制」という言葉を避けては通れない。また、それに伴ってであろう、監査の分野でよく登場する「証跡」という言葉も頻繁に聞かれるようになった。
しかしながら、その証跡の必要条件、十分条件があまり理解されていないようにも思う。
それには「監査」というものに対する理解不足がある。いや、それは仕方のないことなのだ。世間に、監査を分かりやすく解いているサイトや書籍が見当たらないからだろう。
そこで、証跡が満たすべき要件を簡単に解説したい。ただ、私の理解なので、間違いが合った場合は平にご容赦願いたい。
「決算書」と「帳簿」と「伝票や領収書」の関係が分かりやすいだろうか。
乱暴に言えば、一件一件の実績が「伝票や領収書」であり、ここから定量的なデータ化したものが「帳簿」、更にそれを必要な分類(勘定科目など)で集計したものが「決算書」、となる。
裏を返せば、「決算書」の元ネタは「帳簿」であり、その帳簿の元ネタは「伝票や領収書」である。
つまりは、細かいところからの積み上げをしても、集約したものを分解していっても、当然整合性が取れていなければならない。
この場合、伝票や領収書が「証跡」となる。
あるものを別の観点から捉えても、ちゃんと整合性が取れていること。積み上げる元ネタであり、かつ分解したときの証拠であり、取引の証拠である、と主張できるもの、と理解するといいかと思う。
ただ、「証拠が残っている(証跡がある)」ことと、「適正である」ということとは、別物であるからだ。証跡の限界を考えてみよう。
まず、たとえ領収書が残っていても、社長が愛人に勝ったマンションや車、プレゼント代金は適正な支出ではない、という例が分かりやすいだろうか。
また、たとえ決算書から帳簿、領収書がばっちりあっても、現物と合致していなければならないのは当然である。
両方とも「不正な経理」であるが、前者は単に「支出要件を満たさない」で、会社ではNGだが、自分のお小遣い帳に記載するのはまったく問題がない。しかし、後者は「ごまかし」である。
このような「証跡を元に適正に扱われているか」をチェックするのが「監査」と理解すれば分かりやすいのではないかと思う。
しかしながら、その証跡の必要条件、十分条件があまり理解されていないようにも思う。
それには「監査」というものに対する理解不足がある。いや、それは仕方のないことなのだ。世間に、監査を分かりやすく解いているサイトや書籍が見当たらないからだろう。
そこで、証跡が満たすべき要件を簡単に解説したい。ただ、私の理解なので、間違いが合った場合は平にご容赦願いたい。
「決算書」と「帳簿」と「伝票や領収書」の関係が分かりやすいだろうか。
乱暴に言えば、一件一件の実績が「伝票や領収書」であり、ここから定量的なデータ化したものが「帳簿」、更にそれを必要な分類(勘定科目など)で集計したものが「決算書」、となる。
裏を返せば、「決算書」の元ネタは「帳簿」であり、その帳簿の元ネタは「伝票や領収書」である。
つまりは、細かいところからの積み上げをしても、集約したものを分解していっても、当然整合性が取れていなければならない。
この場合、伝票や領収書が「証跡」となる。
あるものを別の観点から捉えても、ちゃんと整合性が取れていること。積み上げる元ネタであり、かつ分解したときの証拠であり、取引の証拠である、と主張できるもの、と理解するといいかと思う。
ただ、「証拠が残っている(証跡がある)」ことと、「適正である」ということとは、別物であるからだ。証跡の限界を考えてみよう。
まず、たとえ領収書が残っていても、社長が愛人に勝ったマンションや車、プレゼント代金は適正な支出ではない、という例が分かりやすいだろうか。
また、たとえ決算書から帳簿、領収書がばっちりあっても、現物と合致していなければならないのは当然である。
両方とも「不正な経理」であるが、前者は単に「支出要件を満たさない」で、会社ではNGだが、自分のお小遣い帳に記載するのはまったく問題がない。しかし、後者は「ごまかし」である。
このような「証跡を元に適正に扱われているか」をチェックするのが「監査」と理解すれば分かりやすいのではないかと思う。