Javaが台頭してきたころだろうか。雑誌に「COBOLは死語」的な内容が掲載されたことがあった。それによるとせいぜい年寄りがしがみついている言語らしいような論調であった。雑誌記事の影響か、HPにそういうことを書く人も散見された。

しかし、いくら新しい言語が台頭してきてもシステムを安定稼働させる側にとっては、COBOL新しい言語に切り替えるメリットがないなら導入するはずもない。金融系ではCOBOLのシステムが多いことを考えると、まだかなりCOBOLのシステムは残っているはずだ。そう反論すると「雑誌に書いてあったから」「みんながそう言っているから」という返答しか返ってこなかった。


実際、その後に「汎用機からオープン系へ」というシステム移行に携わったが、金融系としてはかなり先進的であったそうだし、やはりその記事以降、どこかで「業務で使っている言語」のアンケートの結果を見た覚えがあるが、COBOL比率は高かった。


先の情報は、おそらくオープン系にしか携わっていないか、自分の周りでCOBOLを見かけなかったからそう思いこんだのだろう。それがまことしやかに伝わってしまったようである。


プロジェクト内でも「声が大きい人の意見」の方が通りやすいことも多いが、本質を突いているのは多弁な人ではないこともよく見かける。規模は違えど同じようなことではある。

もしプロジェクト内の情報で仕事が滞ったり無駄になったりすることがあったとして、声の大きい人だけを責められるだろうか?意図的かどうかはあるが、疑問に思わない感覚は甘いと思うべきだろう。自分の感覚と合わない情報は排除してしまうのではなく、検証してみたり、とことん話し合ってみるくらいの姿勢は持ちたいものだ。


自分の知っている世界が世界のすべてではないのである。しかし、それだけで完結している人は、意外なほど多い。