コンピュータ技術は産業の中でも進化が速いうえ、多岐にわたるから仕方ないのかも知れないのだが・・。

例えばオープン系しか経験のないエンジニアが「汎用機はもう終わっている」「COBOLは死語」など語っているのを書籍や雑誌、個人HP/ブログで見かけるたび「なんで?」と思うのだ。


書籍や雑誌、ネットの聞きかじりなのだろうか?

確かに触れる機会は減っているので「まだあるの?」という感覚があるかもしれない。が、自分が知らないということが、廃れている、という事にはなりはしない。視野が狭いように思えてならない。


以前、証券会社の基幹システム汎用機からOPEN系に移行するシステムに携わったことがある。元の言語はCOBOLだ。オンライン系はJavaに置き換えることになったが、バッチ処理に関してはCOBOLのままで、という選択がされた。

なぜ、そういう選択だったのだろうか?

上記の意志決定に携わった訳ではないので決定の真の理由は分からないが、オンライン系をJavaにしている点から、決定権を持つ人がJavaに否定的だったとか知らないとか、そういう理由にはならないと考えられる。


さて、上記プロジェクトの後にJavaでバッチ処理を設計する機会があった。そこではJavaの技術者はたくさんいたのだが、誰もオープン系でのバッチ処理の設計の経験者がいなかったのだ。私も未経験であったが、汎用機でのバッチ処理経験があったので設計を引き取った。その時に気付いたのだが、バッチ処理はJavaよりCOBOLの方が生産性も処理効率も随分高いのではないか?バッチジョブの運用設計は汎用機の方が行いやすく扱いやすいのではないか?と感じた。

詳細は省くが、コンピュータ言語が多様化している昨今でも汎用機やCOBOLが残っていることを考えると、それなりの有用性があるのではないか?ということくらいには気が付かないものなのだろうか?と思う。