9月19日、
タイで、タクシン首相不在中にソンティ陸軍司令官によるクーデターがありました。
1997年のアジア通貨危機が、タイから始まった記憶を呼び覚ましたことから、
場中のNY株式市場では、ヤフー決算発表への失望売りと相まって、緊張が走りました。
ここに来て、錯綜した情報が整理され平静を取り戻しています。
私が分からなかったのは、ソンティ陸軍司令官のプミポン国王への謁見です。
もし、これが革命だったなら、
革命の総仕上げとして、謁見に名を借り、国王を支配下に置く好機とします。
国王側も、充分心得ていますので、謁見には応じません。
あるとすれば、帯刀を許さず謁見し、これを鎮圧の好機とします。
両者、これを心得ていますので、
大勢が決するまで、出会うことはありません。
なぜ国王は、この国軍による武装蜂起を、
自身に危険の及ぶ革命でなく、政権内の権力移動であるクーデターだと判断出来たのか。
なぜ、国王は早々に謁見に応じたのか。
なぜ、謁見の場で鎮圧されないことを、司令官は知っていたのか。
この疑問に対し、
各社各紙各人が混迷を極め、意味を成さない情報の羅列に終始する中、
第一報から、明確な分析を示めされたは、長尾久嗣さんです。
彼は、プレム枢密院議長へのプミポン国王の信任の厚さから、
この政変のキーパーソンとして枢密院議長の名を上げ、その背景を分析されていました。
後日、配信されました謁見の写真では、
ソンティ司令官とともに、ブレム枢密院議長も同席しているのが確認できます。
ミネルバのふくろうは、夕闇とともに静かに翼を広げる を信条とする私にとりましても、
タイムリーな分析というものは、
普段からの情報収集の結果なのだと、納得した出来事です。
また、タイでの生活も、今後の選択肢の一つと考えている身には、
この国の行く末を星読みする一つのポイントとして、ブレム枢密院議長の名が記憶されました。
明確な座標軸をもって時代を見ると、雑音は消え去ります。
歴史のダイナミズムを特等席で楽しむ時間が、始まりました。
では、また。