よく耳にする話。
1.「就職活動は『縁』だよ!」
2.「あの二人が結婚するなんて『縁』があったんだねぇ~」
3.「なんかタイミング合わないから別れよう?」
ものすご~~~~く個人的な意見なのですが、
この類の話にはことごとく虫唾が走ります!
そもそも「縁がある」とは、「タイミングが合う」とはなんなんでしょう。
「縁がある」・・・目には見えないが、運命的な、いわば神様の思し召し的な絆が
確かに存在するということ
もう一度言うが、人の目には見えないし、そこに縁があるかなど分かる術もない
「タイミングが合う」・・・たまたま偶然、自分と相手の何かが一致すること
主に時間的要因に左右される
ちなみにタイミングの良し悪しは自分次第でどうにでもなる。
私はこう思いますし、
おそらく多くの人にも私と同様に「運命」とか「偶然の一致」という説明で
納得してくれることと思います。
これらの言葉単体は、私も別になんとも思いません。
ですが、上記3つの類の使い方がそこはかとなく腹立たしいのです。
ではなぜ私は上記のような使い方に虫唾が走るのでしょうか。
1番2番は、私から言わせれば結果しか見てないんです。
ジョジョ風に言えば「過程や・・・!方法なぞ・・・!どうでもよいのだァーッ!」というやつ。
3番はただの自己中。
例えば上記1番。
「就活は縁だよ」とか「縁があったんだね!」発言。
お前に何が分かるんだよwwwということです。
「縁」というものが見える、あるいは左右できる神様がおっしゃるなら話は別ですがw
就活で「受かったんだ!縁があったんだね!」と言うということは
努力しなくてもその企業を受ければ合格したということです。
だって「縁」があるんだから。落ちるはずないんだもの。
本人のものすごい努力と苦労があって、ようやく、「自分の力で勝ち取った」内定を、
「神様の気まぐれ」的な要因で片付けるなんてひどいです。
3番目の「タイミングが~」はこうです。
その前に実は、「タイミングが合う」という使い方は良いです。ロマンチックな考え方で。
その逆、「タイミングが合わない」というのが最悪。
タイミングの良し悪しを決めるのが自分なんだから、どうにでもなります。
この世で一番愛している人が自分と全くタイミングが合わなくなったら、
愛せなくなるんですか?
それはタイミングが合わないから別れるのではなくて、単に嫌いになっただけです。
でも自分から「嫌いになった」なんて言ったら
なんか自分ヒドイ人みたいだしぃ~~
自分から振っちゃうけど悪く思われたくないしぃ~
という思いのために、
「神様のちょっとしたイタズラ」的要素を含ませて「タイミングが合わない」
なんて言葉が出てくるんじゃないんですか?
二人の男が一人の女に、同じ時期に同じことを言いました。
女は片方の男が好きだったので、その人の言葉には耳を傾け、
もう一人の男のことはスルーしました。
そして女は好きな男には「タイミングが合ったの」と言い
もう片方の男には「タイミングが合わなかった」と言いました。
おそらくこういう使い方しますよね?
もうタイミングなんて関係ないんです。好きか嫌いかだけなんです。
自己防衛したいだけです。はっきり言った方が相手のためにもなるのに。
相手がどれだけ傷つくかも考えないで自分を守りたいだけなんです。
ひどい話です。
・・・とまぁ長々書いてしまいましたが、
私だってこれらの言葉は使います。
本当に偶然一致したときだけ「グットタイミング!」とは言います。
死ぬ間際くらいに「今思い返せば、遠い過去の話、あれは縁があったのかもしれないなぁ」など
思うかもしれません。(決して断定はしません。)
ですが、上記のような使い方は絶対しません。
ウンコーwww