【東日本大震災3年】「今でも夢であってほしい」漁師の父を亡くした南相馬市のJA職員、佐藤幸一さん(55)
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東日本大震災で父を亡くし、遺族代表で追悼の言葉を述べる佐藤幸一さん=11日午後3時10分、福島県南相馬市の市民文化会館「ゆめはっと」
「おやじ。元気にしているよ。天国で見ていてくれているか」。福島県南相馬市で行われた追悼式。遺族代表として、JA職員の佐藤幸一さん(55)は漁師だった父、仁(ひとし)さん=当時(83)=に語りかけた。仁さんにとって海は仕事場であり、生きがいだった。その海に命を奪われた現実を、幸一さんは今も、受け止めきれないでいる。
3年前。揺れが襲った瞬間、幸一さんは南相馬市の自宅から30キロ離れた新地町の職場にいた,rmtssp。「津波と繰り返す揺れに、呆然(ぼうぜん)としました。家は、家族は…」。
その時、仁さんと母、ヨシ子さん(83)は、海岸から数十メートルの自宅にいた。避難を促すヨシ子さんに、仁さんは「ここに残る」と聞かなかった。
「私が小さい頃から、南相馬に津波は来ないと聞いて育ちました。過信があったのかもしれません」
仁さんの遺体は、約2カ月後に見つかった。
仁さんは幸一さんが物心ついた頃からの漁師。頑固だが、怒ることは1度もない優しい父だった。苦い経験をし、海の恐ろしさも知っていた。
【東日本大震災3年】「今でも夢であってほしい」漁師の父を亡くした南相馬市のJA職員、佐藤幸一さん(55)
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東日本大震災で父を亡くし、遺族代表で追悼の言葉を述べる佐藤幸一さん=11日午後3時10分、福島県南相馬市の市民文化会館「ゆめはっと」
昭和59年、高波で、漁師だった仁さんの兄の薫さん=当時(58)=が漁船の甲板から転落、亡くなった。操縦桿(かん)を握っていた仁さんはしばらく漁をためらったが、再び、海へ出た。「海は怖い。でも自分にはこれしかない」。幸一さんにそう言った。そんな経験や海への畏敬の念は、大津波の前に無力だった。
自宅は流され、遺品は1つもない。静かに笑う仁さんの遺影は、知人が持っていた写真だ。
「あなたの子供でよかった。あなたのことは忘れない。しっかりと前を見て、歩んでいきます」
追悼の言葉をこう結んだ幸一さん。だが、式典後、つぶやくように言った。
「今でも夢であってほしいと思う。3年はたったけど、ウソだよね、と」
