ブログネタ:誰も居ない部屋でも「ただいま」って言う?
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僕の『理想のひと』っていうのがあります。
それは異性に対して、というよりも
僕がどうでありたいかという感じに近いものなのですが、
その中のひとつに
帰ってきたら ただいま といえる人でありたい というのがあります。
小学生の頃はちゃんと ただいまって言っていたのですが、思春期をむかえた中学生頃になるとただいまを言うこともなくなり、一度言わなくなると不思議と現在に至っても言えないままでいるんですよね。
別に防犯がどうとか、家族に対してとか、『家』に対してということがどうこうということではなく
純粋に ただいま を言えるってことが素敵だなと思うのです。
多分、そのちっぽけな思春期から引きずっているものが邪魔っ気で、かつそれがかっこ悪いことであると感じているのでしょうが、一度悪い習慣に染まると抜け出せないもので、どうしたって ただいま と言わないのです。
あぁ かっこ悪い自分。
それから、『理想のひと』 に関して言えば似たような話では
いただきます を言えるひとでありたい というものもあります。
いただきますに関しては 学校の給食のときくらいしかいったことがなく、
いただきますと元気よく食べ始める人を見ると素敵だなと思います。
これは多分 いや、親の責任にするのはどうかとも思いますが、少なくともこのいただきますという習慣を身に着けなかった、そして身につけさせなかった環境にいたのは確かです。
よそ様のお家で いただきます を言うことは礼儀だということは知っているので、少なからずその場においては言うように心がけていますが、自宅ではまず言いません。
なんかこういった たった一言の 挨拶を言うことが出来ない自分にがっかりといいますか、悲しい人間だなとたびたび思ってしまうのです。
なんとかこんな自分を変えようと思うのですが…
ただひとつ、自分で自然といえるようになってきたのが レジでお釣りをもらうときにありがとうというようになってきたということでしょうか。
昔バイトをしていたときにレジの人間にありがとうというひとの素敵さを実感したからかもしれませんが、それ以来ありがとうございましたというようになったのは事実です。
つまり、僕もただいまといわれる環境におかれるか、料理を作ってあげる立場になれば少しは改善されるのでしょうか。
なんか、今の状況では難しい気もしますが…
頑張れ自分!
ふぅ…
理想の自分になるにはあと何年かかるんだろうか。