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[ 朝の目覚め、良いほう?悪いほう? ]

猫泥棒と木曜日のキッチン (新潮文庫)/橋本 紡
¥420
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あらすじ

お母さんが家出した。わたしと弟のコウちゃんを置きざりにして。実父は無し、弟は義弟、義理の父もいない。けれどもみずきは大丈夫だった。だらしのない母親の代わりに家事はできたし、高校を卒業するまでの間のお金はお母さんが置いていった。コウちゃんはいるし、友達の健一君もいた。学校には大好きな先生もいる。けれどある日、無残に捨てられた猫たちを見て「絶望」と遭遇した。それは親がいなくなったことよりも大きな絶望であった。

絶望と立ち向かう女子高生・みずきの戦いが始まった。



まず、主人公であるみずきちゃんは本当によくできた女子高生である。

今の子はみんなこんなに大人なのかと思うと何やら少し前の自分、いや、今の自分すら恥ずかしくなってしまいます。

けれどもこの強さはこの物語の核であり、彼女たちが生きていくことを可能にしています。いや、生きていくというのとは少し違うか。生きていくという希望に満ちたものではなく、むしろみずきにとっては特別変わりのない出来事であった。解説にも書いてありましたが、映画「誰も知らない」のような状況なのですが、さすが女性は違うというか、映画のような絶望感はありません。お金があるということの安心感もあるのでしょうが、それだけじゃない強さがありました。

捨て猫との遭遇によりとてつもない怒りや悲しみに襲われるのですが、それでも立ち向かえたみずきがそれを証明しているようです。


それだけじゃなくて、友達の健一君の存在も大きかったのではないかとも思います。

事故によってサッカーを諦め、片足を引きずりながら歩く生活の中、彼の中の葛藤がみずきには通じない。というよりも問題にはならない。そのことが彼を助け、みずきの支えにもなれた。

なんだかいい関係ですねぇ。うらやましい。


それから、橋本さんの(みずきの)ものの感じ方もいいです。例えば、


ちょうどそのころ、衣替えがあった。濃い紺色のセーラー服から、白のセーラー服へ。初めてその半袖に腕を通したとき、軽さにどきりとした。なにかを捨ててしまったみたいだった。振り返ると、壁にかかったままになった紺色のセーラー服が目に入ってきた。まるで抜け殻のようだった。こうして脱皮を繰り返し、わたしたちは少しずつ大人になっていくのかもしれない。


なんてことない場面なのだけれど、確かに。。。と思い出される(いや、僕はセーラー服は着てませんよ)その言葉と、一言一言を噛み締めているような感じがいいなぁと。

こうしたどこか落ち着きすぎている高校生なんだけれど、それが魅力のような気がします。


この物語は両親がいない子どもたちのそれでも強く生きていく様を描いたものでも、捨て猫との出会いによる絶望とそれを振り払うための希望を描いたものでもなく、女子高生であるみずきのひたむきな生活する力を描いたという作品のような気がする。というと聞こえはあまりよくないのかもしれないけれど、その一本気のようなものがこの作品の面白さだったような気がします。


ふぅ…

これは友人の家へ遊びに行って泊まったときに読んだものです。

僕は友人がとまりに来たり泊まりに行ったりしたときはどんなに遅く寝ようが早く起きてしまい、朝からお昼にかけて暇になってしまう。

今回もそうなるだろうと思い持っていたのですが、見事に読み終えるまで友人は爆睡。

僕は人を起こすのがあまり好きじゃないので、そろそろ起きて遊びに行かないか?という提案もすることなく、あまりにやることがなくなってしまい「ま、帰るか」と友人宅を後にしました。

だってさ、お昼過ぎまで寝てるなんてもったいないじゃない!!

かといって起こすのも嫌、暇を持て余しすぎるのも嫌。

じゃぁ帰るしかないじゃない?

その数時間後に電話があり、勝手に帰られたことについて物言いがありましたが、僕は言ってやりました。

「人の睡眠は断じて邪魔してはいけない!寝る子は育つものだから!」


普段はそんなに目覚めは良くないのですがね。

こういう時や、遊びに行くときは目覚めが良いんですよね♪