
僕は根っからの文系人間ですから(理系の大学通ってるくせに!?)、数学なんてものは得意ではありません。
が、公式の美しさや、数字の持つ難解さはなかなか魅力的です。
特に、黒板に白く書かれた数字の数々はその一瞬にしか存在しない絵のようです。
・・・・・・・まぁ、なんだかんだいって数学得意ではなかったのですがね。
だってさ、数学は答えがひとつである!なんて言うけれど、どんなに計算したってその答えに行き着かない時があるんだもの。そりゃ僕のミスが招いた結果なのでしょうがね、それってどこか人間らしさが現れていていいんじゃないの?なんて思ったりもするわけです。
証明せよ!なんて問題に対しては特に反発的でしてね、その答えが1になる理由は確かにある。けれどもそれが1になるためには言葉や記号では表せない何かがあるかもしれないじゃないか!それが僕の空白の解答欄に表れているのがなぜわからない!!なんて思ったりもしたものです。
でもですね、やっぱり数字は美しい。
中でも2という数字は非常に素敵だ。
あの流線型と直線のバランスはモダン的である。
字癖によって多種多様なカタチを見せる柔軟性の高さもある。
最小の素数であることの誇りみたいなものを2から感じる。
偶数であればどんなに大きな値も割ってしまう根性と素直さがある。
二兎追う者は一兎も得ずという、2の危うさが人生の難しさを感じさせる。
2×2=4を「ににんがし」って読むあたりがお茶目だ。
ふたりで寄り添うベンチは景色に映える。
2という数字にはシルクハットをかぶせると似合う気がする。
2番バッターはチームのことを考えて動かなくてはならない。
2位という順位は上を目指すには程よく、下からの追い上げを振り切るにも丁度いい位置だと思う。
2はどこか思慮深い数字に思えるのはあのフォルムからか、あるいは性質か。
1は力強く突っ走るのに対して、2は静かに流れるように動く気がする。
昔、数学の先生が、1+1は約2であるという話を聞いてなんとなく納得してしまったのを覚えている。
そして最近、1+1は約2であることを実感している。
一度だけ2階から目薬をさせたことがある。
箸は2本で1膳だ(ひとつ)だ。
靴は2つで1足(ひとつ)だ!
1本でもにんじんだ!!
2という数字に無限なものを感じる。
ふぅ…
また馬鹿な記事を書いた気がする。。。