
[ ペットボトル派? 缶派? ]
僕はよく汗をかくので、常に飲み物を携帯しているのですが、そうなると便利なのはペットボトルですね。
一気に飲み干さなくてもすみますもん。
家の中でも2リットルのお茶やスポーツ飲料なんかをがっつり冷蔵庫で冷やしていました。
ただ、先ほども言ったように僕は非常に汗をかきます。
で、なんとなく飲み物に手が伸びてしまい、なんとなくゴクゴクと喉を鳴らして飲み干してしまう訳です。
なんとも不経済!!
さらにアホな僕は、外から帰ってきた後、もしくはお風呂上りで大量に汗をかいたあと、まるまる残っているペットボトルを見ると無性に『自分の力』を試したくなります。
ん~…と…一気飲みをしたくなるわけです。
僕の胃はこの2リットルのペットボトルを休まずに飲み干せることが出来るのか…
自分の限界ってどこなのだろうか…
人の限界ってどこなのだろうか…
そうしてペットボトルに口をつけ、両手で2リットルのペットボトルを支えながらの一気飲み!!!
・・・・・・も~ぅい~かぁ~い!とカクレンボの鬼が確認をするかのように問いかけ、ペットボトルを見てみるとやっとの思いで飲んだのにまだ半分近く残っていたりするのです。
自分の限界に悲しみを覚え、お腹がたっぷたぷとするなかベッドに倒れこみ、先ほど体に取り入れた水分を目からそっと流すのでした…
なんてこともあります。ペットボトルだろうが、缶だろうが、どうやら僕はゴクゴクと喉を鳴らして飲まなきゃ気がすまないようです。
しかし、さっきも言ったようにさすがにこんな調子で飲んでいては不経済。
このご時勢、くだらないチャレンジとやらでお腹をたっぷんたっぷんにする必要はございません。
ということで、1ヶ月程前、僕はついに麦茶用の容器を買いました。
実家にいた頃は夏も冬も昼も夜も麦茶で育てられた僕ですが、一人暮らしをはじめ、東京(そと)の水は『甘くは無い』ということを小耳に挟み、麦茶製造をあきらめていました。
友達もお水がまずい!!というので、僕もまずい!と言い張ってきましたが、正直どうまずいのかがわからない僕です。例えおいしいお水で育ってきたからといっても、実家の水と東京の水の違いが分からない僕です。
まぁいいやの気持ちで、ついに麦茶製造を再開し、普通の水道水でゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでおります。
同じ2リットルでもここまで気持ちが違うか!というくらい麦茶に対する喜びが高まっております。
1日2リットルを平気で飲み干し、まだ足りないと思えば30分で次の2リットルが作られる。それでもたったの○○○円!お得!!!(実際いくらかは覚えていない。。。)
ただ…夜中、あるいは家を出るときに麦茶の製造をするのですが、ついつい忘れ、汗を首筋から垂らしながら家に家に帰ったときや、寝起きのさわやかな1杯を味わおうとしたにもかかわらず、たった1杯の麦茶が注がれなかったときのあの哀しみと怒りは、ペットボトルが家に無いときとは比にならないほど大きいものがあります。
昔はよく母親に「おかーさん!麦茶入ってないけど!!」といって責任を母親に擦り付けておりましたが、さすがにこの歳、この状態では文句を言ってもこだまして僕に帰ってくるだけです。
麦茶を切らさないことが、今僕の大切な日課となっております。
そういえばペットボトルか缶かって話でしたね…
少々話し外れますが、いまだに僕はツナ缶やホールトマト缶のふたを開けるのが苦手です。
ふぅ…
なんだろう…麦茶ってなんか独特の『らしさ』を感じる。
それが『夏らしさ』 なのか 『懐かしさ』 なのか、それとも 『素朴さ』 なのかはわかりませんが、でもその『らしさ』がいいと思う。