Tears Hearts

Tears Hearts

光の日記です

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今日も電話がかかってきた。

ずっとマナーモードにしていたおかげで、着信音は一度も聞かなかった。突然スリープ状態から明りが灯った画面がデスクトップから切り替わる前に、わたしはスマートフォンを裏返して机に伏せた。すると姉に電話が行った。わたしを出せと姉のアイフォンの向こうで言い募る母に、わたしは耳を塞いだままフリースを羽織り、ほとんど始終玄関の外に避難していた。二十時から二十一時の間の三十分くらいだった。

玄関の外でも姉と母のやり合う通話の声色はドアを超えて小さく届き、耳を塞ぐとまるですぐそばで二人がやり合っているかのように怒鳴り声がこだました。それでも耳を塞ぎながら、心臓の音を再現するように人差し指で耳をとんとんとゆっくり叩いていると、まるでそちらが本当の自分の心音のように思えてきて落ち着いた。

母からの電話の内容は、確かにわたしにクソッタレと言った、それ以降わたしが電話に出ない、どういうつもりだということだったらしい。姉からそう聞かされて、わたしは頭を抱えたい気持ち半分、胸を刻まれたような痛み半分だった。母は喧嘩をしたら互いに謝っていつまでも引きずらず仲直りをする、としょっちゅう言ったが、心の奥底ではわたしを父の手先か何かのように思っていたり、愛していると言いながらわたしの生活や人間関係への過干渉をやめなかったり、わたしに言うことを聞かせるまで延々と喋り続けたりすることをやめなかった。母は家族間にプライバシーなどはないと言い切る人だった。一緒に住んでいる時、友達と電話をすれば引き戸を一センチほど開けてその様子をリビングからじっと見たり、見ていたテレビの音量を一気に下げて電話が終わるまで聞き耳を立てたりした。携帯は見られるのが気持ち悪くてロックをかけていた。パソコンでゲームをしたり動画を見て笑っていると「相手はパパか」「パパからメールがきてるのか」とよく言われ、否定しても信じて貰えず、度々わたしや姉とぶつかったりすると「パパが後ろであんた達をコントロールするから」とわたし達自身の意見や感情は受け止めて貰えなかった。人間の最低限の境界線への母の侵入はものすごく、それについて反抗や拒否をすると、暴走族に匹敵する怒鳴り声(誇張ではない)や愛と言う名のやさしい暴力がエスカレートした。母はお互い仲良くやりましょうというつもりで謝りはしても、そういった干渉はやめないし、自分が悪かったとも感じなかった。愛情を示すなら何かもっと違う方法もあったのではないかと省みることもせず、いつも「ママ悪くないよ?」の一点張りだった。そして今回も、わたしから電話をかけるまでは距離を置いたり、こちらを気遣うようなメールを送って放っておくのではなく、わたしを無理やり電話口に引きずり出そうとし、それが叶わなければ怒り狂った。

行き過ぎた愛情でもいい。せめて、せめて「やめて」と言ったことをやめてくれるひとであれば。わたしという人格に立ち入らず、ぎりぎりで立ち止まってくれるひとであれば。わたしは父の人形でも何でもなく、母の一方的な感情をごみ箱のように投げ付け続けていい存在でもない。いちいち傷付くわたしがいちばん、何でもない歯車で、いらない部分だった。


母の侵入も、母が死にたい程に寂しがっていることにも耐えられない。

どうすればいいかわからない。




昨日、わたしは派遣会社のホットラインに電話をかけて助けを求めた。そのきっかけになるほど思いつめていたことはまた思い出せないが、終わらない日中の動悸と息苦しさ、パニック、頭が真っ白になる、そして家に帰るとわたしの要領の悪さを責めて妥協をしない姉、心休まる瞬間がない毎日に、心が悲鳴をあげていた。


覚えているうちに書いておくが、きょうも帰ってから、洗い物を済ませてお風呂に入ってしまうまでの間に、やらなければいけないことを2、3忘れ、思い出して半分やってまた忘れた。洗った食器を布巾で拭くということと、いつも仕事に行く前に窓際に移してある観葉植物を所定の位置へ戻すという作業だった。わたしはまず洗い物を済ませ、お手洗いへ行った。そこで洗い物を拭いていないことと観葉植物の存在を思い出した。その後、洗い物の内弁当箱と箸類だけ拭いて、観葉植物をそれぞれの場所へ戻しに行き、お風呂へ入った。入っている間に茶碗を拭いていないことに気が付いた。そして姉が帰ってきた。わたしは風呂場の中から、まだキッチンに立つなということを叫んだ。上がってから、茶碗と、既に拭き終わっていた箸とスプーンを拭き、首を傾げた。お風呂上がりに風呂場の扉を閉めるということはもはや忘れ果てていて、結局姉に閉められた。


昨日の電話の話に戻る。

胸がどきどきして息苦しくなるということ自体がもう症状であり気のせいでは絶対にないと、わたしの苦痛を認めてくれた電話の相手にわたしは深く安堵した。そして、その電話の向こうで話を聴いてくれている人間が、単なる派遣会社の一個人ではなく臨床心理士だとわかった時、わたしの目から涙が次から次へと溢れ出してきた。これは一般人が相談に乗ってくれるのとは訳が違った。ちゃんとその道に通じる人間が、単なる悩み事ではなく、真実身体的な苦痛として、それから逃れることができないことをわかる人間が、それを重大だと受け取めてくれる人間がそこにいてくれたのだ。わたしが休日の夕方まではじめて寝過ごしてしまったことや、頭が真っ白になり仕事の説明も聞き取れなかったことなどを、怠惰や思い込みなどではなく心身症だと受け取ってくれた。

なるべく早期に心療内科にかかること、そして少なくとも心理療法に理解があることがわかるため、臨床心理士のいるところを受診すること、予約待ちの多い大学病院は選ばないこと、伝えるべきことを紙にまとめておくこと、中でも動悸と息苦しさを開口一番に伝えること、そしてこの電話は30分しか通話できないけれど毎日でもかけてきていいことなどを聞き、わたしは感謝を述べて電話を切った。



きょうは特に胸がどきどきして苦しい一日だった。

昨夜も姉と喧嘩をした後、わたしはもはや危機感を感じる洗い物からのがれるために晩御飯を拒否して20時という時間にベッドへ潜り込んだ。自分の弁当箱の存在は忘れていた。姉の心配事は、わたしのストレスではなく、明日も仕事に行ってちゃんと給料を稼いでくるのかということだった。姉の、そうやってご飯を食べないから体調を崩すのだという的外れな恨み言は聞き捨てた。母と違って、姉がわたしを叩き起こしに来ないことがわかると、わたしは安全地帯にいるような心からの落ち着きと若干の余裕を得た。姉の晩御飯をつくる音や洗い物の水音を子守唄のように聞きながら、わたしは解放された気持ちで眠りについていった。

朝起きて開口一番に言われたことは「仕事は?」だった。どこまでも人を道具としか見ない発言に精神が捩れるような怒りを感じながら、弁当箱を水につけた後、今日はお弁当はいらないと言い放ち、いつもより30分早く、姉からゴミ袋も奪い取って外へ出た。

ドアを閉める寸前、いつもより早い出勤と弁当拒否というわたしの行為を攻撃と受け取った姉が「バカたれが」とわたしを罵った。わたしを心配した気持ちではなく、ぎりぎりで何かやりかえさなければという念がありありとこめられていた。

集団の中で口を動かすことがひどくこたえるのでお昼は抜こうかと思ったが、以前に抜いて午後が長く感じたということを思い返し、いやいやコンビニへ行ってチキンの入ったパンとネギサーモンのお握りを購入した。本当に一日中息苦しかった。あまりに息が切れていたので、隣の社員さんに「うっせえな、っとに」と言われたかもしれない。被害妄想の聞き間違いかもしれなかったが、その一言が胸にトゲのように刺さって残っていた。嫌われたくなかったし、怒らせたくもなかった。


どうしていつも食器洗いに使っているスポンジを、排水口掃除に使ったことをわたしに知らせてくれなかったのだろう。別のところに置いておいたのに何故疑問に思わずに使ったのかと開口一番怒られて、わたしは胸が悪くなった。代わりに綺麗なスポンジが置いてあっただろうって、あれはわたしが数日前に油まみれのシンクを掃除したものだ。お姉ちゃんも知ってるはずだ。あれで食器を洗ったことなんか一度もないし、シンクを掃除した日から変わらずずっと同じ場所に置いてあっただけだった。突然これでわたしがお皿を拭き始める訳がないのに。いつも食器洗いに使っているスポンジが洗濯機の上に移動されていたのは、使うなという合図ではなく、単なる戻し忘れかと思ったのだ。そんな大事なことなら言っておいてくれればいいのに、こちらを攻撃することしか考えない姉にわたしはとても腹が立った。

姉は丸一日外で遊んでおいて、家中の床の掃除と炊事、洗濯物干し、洗い物、お風呂掃除や麦茶を沸かしたりなど諸々の家事をわたしに押し付けておきながら、何もやってないと言ってきた。とても理不尽だし、すごく嫌な気持ちだ。夜の洗い物だって、わたしがお風呂に入っている間にやってくれればいいのに、ずっと動画を見ていてやってくれない。わたしが外に出たら電話で買い物を押し付けて来る。自分は朝から夕まで遊びに外出していたくせに、全く意味がわからない。


わたしは買って欲しいと言われたものを上手に買うことができない。いつも買い出しを頼まれると、お店の中でめまいがしてしまう。百均などでは、とにかく目の前にある物がざあっとわたしの目から頭の中に無数に侵入してきて、わたしの視界を遮ってしまう。頭の動きが固まって、何を探しているのかもよくわからなくなってしまう。それでとにかくぐるぐる回って探していたら、何だか気持ちが悪くなってきてしまうのだ。自分だけのための買い物ならば、間違えたものを買ってきて怒られる心配はないから、緊張しないせいかそうはならないのだが、買い出しを頼まれることはわたしにとってかなりのストレスだった。わたし自身、「あれをやって」と言われることがとても苦手なのだ。だいたいの人に理解される説明や要望は、わたしにはあまりに広範囲すぎて高度な問題だった。それを解き明かすのに奮闘している間に、相手はいつもわたしを諦めてしまうのだ。


何故、こんなに色んな人に気を使わなければならないのだろう。

言われたことをきちんと理解しようと、こんなにも緊張していなければいけないのだろう。

頭の中が真っ白になって、聞かなければいけないことも何もわからなくなる恐怖に

どれだけ一人で耐えていればいいのだろう。

身体が重たくなって、手足や口を動かすだけで神経の奥からざわざわするような不快感と不自然感を感じて凍りついてしまう感覚と、いつまで闘っていなくてはいけないのだろう。

もう嫌だ。明日の仕事は嫌だ。あの胸の辺りの不快感と、落ち着かないような息苦しさに一日中さらされるのはもう嫌だ。それで笑っていなくてはいけないのは嫌だ。自然に笑える時もあるから、それが本当はこんなに辛いという気持ちを自分で無かったことにしているみたいで嫌だ。元気じゃないのに元気みたいに振る舞って、そんなふうに扱われるのはどうしようもなくて嫌だ。本当は明るく皆と喋りたいけど、そうしようとしてもできないのはもう悲しくて嫌だ。家に帰るのも嫌だ。ちっとも休まらないのに指図ばっかりされて、失敗すると怒られてわたしの頭の悪さばかり指摘されて嫌だ。毎日が来るのが嫌だ。もう動きたくない。色んなものにさわられて落ち着かない。

もうこれ以上我慢したくない。




今日は今週でいちばんどん底の日だった。一昨日から続く母の件でだ。

仕事の帰り道、同じ職場の珠さんにそのことを打ち明けてしまった。珠さんはよく気が利き、いつも至らないわたしの面倒もよく見てくれ、じっくりと重い話を聴き、優しい言葉と心からの理解を示してくれる、天使のような人だった。病み上がりの天使に迷惑をかけてしまうことは不本意だったが、おかげで気持ちも大分すっきりしたし、今日はじめて笑うこともできた。いつも甘えてしまうことを謝罪してから、わたしは珠さんと別れた。


今日の日記は珠さんに話してしまったので、今だけはもう吐き出したい気持ちはない。その代わりに職場のメモを残しておく。


イラスト:

わたしの頭の中に円周上の壁があり、わたしの矢印の思考はその中でぐるぐる回っている。

考えなきゃいけない事柄はその壁の向こうにあり、わたしはそれに辿り着けず考えられないという図。


文章:

「☆」 と


→ふたつの言葉は同じで、最初の星は初登場語句として括弧が付いていただけなのに、その後に文章中で括弧が消えたら違うものに見えてしまう。

他の人は先へ読み進むだろう時間を、わたしは、☆は「☆」と同じだ、同じだ、と自分に言い聞かせる時間に使ってしまっていた。そうしないと文の言っていることが理解できず、頭が働かなかった。



『お母さんに仕送りしているお金は、わたし達に衣類や食べ物を送らせるために送ってるんじゃないの。それをお母さんに自分のために使って欲しいの。わたしを心配してる心配してるって、心配してるのはお母さんだけじゃないんだよ?だからちゃんとしてよ。毎日同じもの食べてるとか、誰とも話してないなんて言わないで』

『ママがちゃんとしてないって?ないお金であんた達が風邪を引いて仕事を休むことにならないように布団は持って行ったの。服も家にあったものなの。それで交通費払って二千円がないの。そんなことでママを攻撃しちゃだめ』


『だからわたし達のためじゃなくてそれはお母さんのためのお金なの。わたし達にものを送るんじゃなくてお母さんが自分のために使うお金なの』

『あんた達のために使うことがママのためにもなるんだ』

『やめてって言ってることをされるのがいちばんきらい。布団だって足も悪いのにわざわざ職場の駅まで持って来て貰うことなかった。入り用のものは自分達で必要な時に準備してから自分達で取りに行くのに』

『あんた達は来月か再来月まで仕事で来れない。そんなに待ってたらあんたが風邪引くでしょ?風邪引いたら仕事できないの』

『まだ暑くて布団はいで寝てるよ!それにお母さんが布団持ってきた日の一週間後にはお姉ちゃんと一緒に取りに行く予定だったのに、何の連絡もなくいきなり来て』

『お姉ちゃんは来るのは来月になるって言ってたの』

『どっちみちまだ必要なかったの。いきなり持って来るから収納場所がなくて今もわたしの部屋の床の上にたたんで転がってあるの。しないでって言ったことをされると困るの』

『あんた達は事前に連絡してもいらないって言うでしょ?いらないじゃないの。布団はないとだめなの』

『だから必要な時になったら自分達で取りに行くからやめてって言ってるの』

『あんた達は結局パパにとって都合のいい通りだね。パパが一人暮らししろしろ言うから、あんた達もパパの言う通りにして、結局その通りになったね。ママから離れて』


『もういい加減お父さんから離れなよ。自分達の問題をいつまでもわたし達にぶつけてないで』

『パパが後ろでコントロールするから』

『もうわたしもお姉ちゃんもお父さんからのメール返してないよ。お姉ちゃんに至ってはもうメール送ってくんなってお父さんに言えってわたしに言ってる』

『パパがお姉ちゃんをコントロールするからあんたも同じ』

『わたしはお父さんの味方でもお母さんの味方でもないよ』

『結局パパの良いとおりになってるんだ』


『昨日、電話をいきなり切るのはマナー違反なの。ママにそんなことしちゃだめ』

『人は怒りが爆発したらマナーなんて吹っ飛ぶんだよ。そこまで怒らせたのは誰?』

『マナー違反するやつはゴミなの』


『――ええ、わたしはゴミですよ?あなたの娘はゴミでクソッタレですけど?』

『ママにそんな言葉していいと思ってるの?』

『自分が言った言葉じゃんわたしに』

『ママにクソって言っていいと思ってるの!?』


『今のはわたしと離れる寸前に自分がわたしに向かってクソッタレって言って寝てるわたしを足蹴にしたんだろーが!』

『あんたが先に言ったよ?あの時はママよりあんたが先に言ったよ?』

『絶対言ってないね。仕事で疲れてるのに毎晩毎晩夜中まで部屋の中でお姉ちゃんと大声で喧嘩してるから、寝たいんだからもうやめてって言ったら黙ればかやろうクソがって言ってベッドまで上がってきて蹴ったんじゃねーか。絶対忘れないぞ』

『あんたは自分が言ったことも覚えてないの?』

『その台詞そっくりそのままお返しするわ』


『だから心配してくれていることは凄くありがたいし。凄く嬉しいんだけど。やめてって言ったことはやめて』

『ママに心配させるな。まだ根本的なことがわかってないの?』

『それはあなただよ』

『ママに向かってあなたじゃないこのクソが――』


ここでわたしは電話を切った。