青木やよひの「ゲーテとベートーヴェン」を読んだ。
ゲーテとベートーベンの交流で私が知ってるものといえば、二人が一緒に歩いていたときに、宮廷の人たちと出会い、ゲーテは道の端によって深々とお辞儀したのにベートーベンは悠然とその中を割って歩いていって、ゲーテはベートーベンの粗野さに幻滅し、ベートーベンはゲーテの世俗さに失望したとか確かそんなエピソード。
それまではお互いの作品と才能に尊敬を抱いていたのに、人間的な付き合いはうまくいかないまま終わったっていう印象だった。
確かロマンロランの本で読んだんだっけかな。
でも、新たな資料の発見などにより、ロマンロランの時代より遥かに研究が進み、二人の交流にも新しい展開があったことがわかったとか…。
青木やよひさんは、日本におけるベートーベン研究の第一人者で、その著作はドイツ語にも訳されてるほど。
文章も非常に読みやすいし、あまり厚い本ではないのにベートーベンとゲーテの人間性が生き生きと伝わってくる。
ああ、しかしなんてベートーベンは愛しい性格の持ち主なのか。。。
ゲーテはちょっと複雑というか、私自身あまりゲーテについては詳しくないので(著作も若きヴェルテルの悩みくらいしか読んだことがない)余計そう思ったのかもだけど、何を考えているのか、内面が読み取りにくい性格の持ち主だったようだ。
その内面の複雑さこそ詩の才能の源泉だったのかもだけど。
対してベートーベンは単純明快。短期で人をしょっちゅう怒らせ、相手がどんなに高貴な身分でも簡単に膝を折らないけれども、自分が悪いと分かればすぐに相手に謝りにいくような素直さがあった。
ベートーベン、音楽以外の学問は初等教育しか受けていないのに、ゲーテやシラー、シェイクスピアなど、現在でも最高の評価を受けている文学を自ら選別して好んで読んだというのがとても不思議。
特にゲーテの詩は大好きで、少年時代から心酔しており、ゲーテ本人に対しても強い憧れを抱いていた。
対してゲーテは、ベートーベンの文芸に対しての審美眼ほどには、音楽に対する審美眼を持っていなかったようだ。
その二人を結びつけたのが、昔ゲーテの恋人だったマクシミリアーネの娘、ベッティーナ。
ゲーテと親しく交流していたベッティーナ、ある日ベートーベンの音楽を聴いて衝撃を受け、ベートーベンに会いに行く。
(ベッティーナが訪ねていったとき、若くてきれいな娘さんが来たと告げられたベートーベン、隣の部屋で急いでヒゲを剃ったらしい。かわゆい
)
初めてベートーベンに会ったベッティーナ、想像してたより背が低くて醜男だという印象を持ったけど(ひどい
)、ベートーベンの生のピアノを聴かせてもらい(著者は、ベッティーナを前にした難聴のベートーベンが恐らく何を話せばよいのかわからなかったからだろうと書いてる。ほんとかわゆい
)、彼の天才ぶりに驚嘆する。
ベッティーナが書き残してるベートーベンに対する賛辞は以下のようなもの↓
「あの方にお会いしたとき私は全世界を忘れました。その感動を思い起こすと、やはり世界はきえてゆきます。そう、消えてゆくのです。」
「彼が自分の芸術に誇りを持っている様子は、まさに王者のようです。彼は世俗のすべてを軽蔑し、何者にも束縛されず、彼のまなざしは、人間の只中にあっても自然の最奥の秘密に向けられているのです」
「あの方は全人類の教養をはるかに遠く先んじているのです。私たちは彼に追いつけるでしょうか?私には疑わしく思えます。もしあの方が、精神にある、巨大で崇高な謎が成功の完成度に達するまで、生きておられさえしたら、あの方は最高の目標に到達されるでしょう。そうすれば、真の幸福に私たちを一歩近づける天上の認識を解く鍵を、私たちに手渡してくれるでしょう。」
ベッティーナって何者なんだろ…って位彼女には天才を見分ける目があったようだ。
ベートーベンが残した第九や弦楽四重奏曲なんかは、まさに私たちに渡された天上の認識を解く鍵に思える。
まだ彼が存命中に、同時代に生きたベッティーナがそこまで見破っていたことがすごい…。
彼女はベートーベンにゲーテのことも語って聞かせた。ゲーテを崇拝していたベートーベンはベッティーナを通じてゲーテを身近に感じて喜んだ。
そしてベートーベンはゲーテに手紙を書き(この手紙がものすごーく下からへりくだってて、ベートーベンがいかにゲーテに憧れていたかがよく分かる)、ゲーテもそれに対してとても温かな返事をだす。
この書簡のやりとりの数年後、両巨匠の対面が実現する。
(それをロマンロランは「詩と音楽の二つの星の、千年に一度の出会い」と評したそう。)
ゲーテはベートーベンのことを一目みて、「私はこれまで、これほど強い集中力を持ち、これほどエネルギッシュで、また内面的な芸術家をみたことがない」と強い感銘を受けたようだ。
ただし、ベートーベンの方はゲーテに対してそうはいかなかった。
多分、ベートーベンのゲーテに対する憧れが強すぎだのだ。
ベートーベンは、ゲーテの詩作の偉大さから、音楽芸術に対しても同様の高い感性を持っていると思い込んでいた。
しかしゲーテは、ベートーベンの音楽の素晴らしさを分かる程度には音楽を理解していたけれど、ベートーベンが期待するほどの造詣や審美眼を音楽に対して持っていたわけではなかった。
ゲーテを理想化していたベートーベンは失望し、ゲーテに対してからかったり皮肉を言ったりするなど非礼な振る舞いをしたようだ。(私が知っていたエピソードもその一つ)
でも、寛容なゲーテは、ベートーベンの振る舞いに対して気分を害することはあっても、そういった振る舞いの奥にあるベートーベンの苦悩、人間性を見抜いていて、それを許した。
ただし、ベートーベンの方はそのゲーテの寛容さに気付かないまま、ただ彼に失望してそのときの出会いは終わってしまった。
その後ベートーベンがゲーテに対しての認識を改めるのは、保養先の宿がゲーテの妻クリスティアーネの宿とたまたま真向かいで、交流するようになったからだ。
彼はゲーテの妻を通してゲーテの自分に対する深い理解と寛容さに気付き、自分の態度や振る舞いを反省して、またゲーテに会いに行っている。
そのときの対面の様子は資料が残っていないようだけど、その直後のベートーベンがとても上機嫌だったことと、その後ゲーテについて話すとき、ベートーベンがゲーテに対しての感謝や賛辞を述べていることから、きっと友好的な対面になったのだろうと思われる。
「あの人と知り合ったのは、カールスバートでのことでした。ああ、なんと昔のことになったことか。その頃、私は今ほど難聴ではなかったのですが、それでも人の話を聞き取るのはとても困難でした。でもあの偉大な人は、どんなに辛抱強く私の相手をしてくれたことでしょう」
「あの人のためなら、私は十度でも死ぬことができたでしょう。あのカールスバートの夏以来、私はいつもゲーテを読んでいます。何かを少しでも読むときには。」
そして、ゲーテからの紹介状を携えたバイオリニストのブーシェが訪ねてきた際は、彼に抱きつき、「ゲーテがあなたについて書いてよこしたのです。あの人はあなたを愛し、あなたを認めています。ですから、私にはあなたの力量を試すために弾いていただく必要はありません」と歓待したそう。
一方、ゲーテの方にも微笑ましい逸話が残っている。
12歳のメンデルスゾーン(テラ美少年。。。)がゲーテを訪れたとき、ゲーテはベートーベンが自身の詩作に寄せた「憂いの歓び」の譜面をメンデルスゾーンに渡した。
メンデルスゾーンはその汚い譜面(悪筆ベートーベン…)が誰のものかわからなかったけど、他の人が「ベートーベンのだよ」と教えたら、聖なる驚きにうたれて、ぱっと顔を輝かせた。
ゲーテはそれを見て嬉しそうに「さあ弾いてご覧!」と声をかけ、弾かせたという。
しかしその後のこの二人は、それぞれ人生の大変な局面に会い、特にゲーテの方はベートーベンに対して心を閉ざしてしまう。
ベートーベンのせいではなく、ゲーテ自身の内面の変化によるものだけど、ベートーベンの手紙に対してゲーテが返事を書かなかったことが二人の交流の最後だったことはとても残念…。
繊細なゲーテが、ベートーベンの音楽に自分の静謐な内面をかき乱されることを恐れたからではないかと著者は書いている。
それを裏付ける逸話が、21歳になったメンデルスゾーンが再びゲーテを訪れたときの話。
「彼はベートーベンに関する話を聴きたがらないのです。それでも、私はどうしてもできないと彼に断って、ハ長調交響曲(運命の第一楽章)を彼に聴かせました。それは彼を異様に動転させました。はじめは“これは感動させるなんてものじゃない、ただ驚かせるだけだ、これはすごい!”と言って、しばらくの間同じことを呟いていました。そして長い沈黙の後で、“これは大変な大作だ!まったくとてつもない!今にも家が崩れ落ちそうだ…”」
同じ偉大な芸術家同士、単純に友情を結ぶわけでもなく、反発し抜くわけでもなく…、お互いが偉大すぎて、そして性格も違いすぎて、その関係性もなんだか複雑だけれども…、きっとお互いにしか理解しあえない何か本質的なものがあったんだろうな。
二人の関係性とは別の話だけど、ベートーベンについての政治的な話は面白かった。
メッテルニヒによる言論弾圧がすさまじかった時代、ベートーベンはそんなの意にも介さず自分の思想をカフェでもどこでも声高に話していた。
当時の警視総監はそれを皇帝に告げ口し、一時問題になったけれど、ベートーベンは人間国宝とでもいうべき偉大な音楽家で、ウィーンでは大変尊敬されていた。
そのベートーベンを逮捕するわけにはいかないということで、ベートーベンの言動を風変わりな芸術家の無害な空想として見逃すことにしたそう。
あと、ベートーベンが当時イタリアオペラがもてはやされていた風潮に関しても文句言ってたっていうのも面白い。
暗い時代だったので、ウィーンの人たちは、明るくて華やかなイタリアオペラに逃避していたようだけど、ベートーベンが亡くなった時、彼の音楽にこめられていた魂の叫びに心を呼び戻され、三万人のひとがベートーベンの争議に集ったそう。
ちなみにそのときたいまつを持って棺に付き従っていたのがシューベルト。
今読んでるのは「シューベルト 友人達の回想」だけど、次はメンデルスゾーンも読んでみたいな。
あとゲーテの作品も。
大好きなベートーベンを起点として、彼と関わりがあった人や、彼を崇拝していた人にも興味が広がっていく。
ベートーベンに対する恋人に思うようなこの気持ちはなんなんだろうか…![]()
青木やよひさんのこの本は、ロマンロランの「ベートーベンの生涯」に次ぐお気に入りのベートーベン本になりそう。
