昨夜図書館で借りてきて、夜を徹して結局読みきってしまった本がこちら↓
「ハプスブルク家の皇女の話だからアンタも好きだと思うよ」って、姉に勧められて読んだんだけど、いや~面白かった!!
私学生時代の社会の専攻は日本史だったので、初めて知るヨーロッパの歴史にすっかり夢中になってしまった。
日本史を専攻したのは、日本一国だけの歴史なら時系列も分かりやすいけど、世界史だと世界のあちこちに話が飛ぶので時系列がこんがらがって覚えるのが大変そう…っていう理由。
確かに試験対策は楽だったけど、ちょっと勿体無いことしちゃったかな。
日本は島国だから、どうしても閉鎖的になりがちで、世界とのつながりっていうのは対○○国っていう感じで、一つ一つきっぱり区別されてる感がある。
でもヨーロッパは国土がつながっているので、各国の思惑や権力が絡み合い、全体として歴史が動いていくような面白さ。
そういう感覚で見れば世界史も楽しかったかも。
マリー・ルイーゼはハプスブルク家の皇女。
有名なマリー・アントワネットとエリザベートの丁度間の世代の人。
当時オーストリアは戦争でフランスに負けて、皇帝はナポレオンに逆らうことが出来ず、泣く泣く長女のマリールイーゼをコルシカの成り上がり者ナポレオンに嫁がせる。
マリールイーゼは幼い頃ナポレオン率いるフランス軍のせいで苦しい逃亡生活を余儀なくされていたため、会う前はナポレオンを恨んでいたけれど、実際嫁いだら非常に大事にされ、愛が芽生える。
(ここすっごい不思議だった…。ナポレオンが若い美男子ってならともかく、もう40過ぎてて、背も小さくて小太りだったってのに…。かつて自分の国を襲った敵で尚且つそれでよくあっさり夫婦としての情が芽生えたな…。)
でも結婚後ナポレオンは失脚し、マリールイーゼは息子のナポレオン2世と共に故郷のウィーンに帰る。
故郷ではあるけれど、ヨーロッパを戦争の渦に落としいれ、尚且つ罪人として島流しされたナポレオンの妻としてフランスで過ごした彼女の立場はウィーンでは微妙だった。
フランスからは苦境のナポレオンを見捨てて故郷に逃げ帰ったとみなされ、ウィーンでは仇敵ナポレオンの元妻と見られ…彼女と息子のナポレオン2世はどこにいても居心地の悪いいたたまれない日々だったことだろう。
しかしマリールイーゼはさすが女性だけあって切り替え早い。(さすが敵のナポレオンに嫁いであっさり円満になっただけのことはある…)
パルマ王国の女王としての地位を与えられ、赴任して自分の片腕となってくれたナイペルク将軍と再婚。
外国人でありながらパルマの善き女王様として国民に慕われる後世を送る。
前半はナポレオンとの結婚生活、後半はパルマの女王としての人生を、故郷のウィーンとの話を絡めながら描いた物語。
私がもっとも心揺さぶられたのは、マリールイーゼとナポレオンの間に出来た子供、ナポレオン2世の悲劇的な人生…。
もう可哀想で可哀想で…![]()
ナポレオンは言うまでもなく、ナポレオン3世も名前は聞いたことあるくらい有名。
でも1世と3世がいるならば、そりゃ2世もいるわけで…。
ナポレオン2世フランツ(幼い頃はローマ王、成長してからはライヒシュタット公だけど、長いから以後フランツで)は、母親のマリールイーゼと共にそれまで過ごしたフランスからウィーンに渡り、以後オーストリアから一歩も出してもらえなかった。
ナポレオンという名前があまりにも強大すぎたからである。
ヨーロッパを長いこと戦争の悲劇に陥れたナポレオンの存在感は強烈だった。
長くつらい戦争に対してうんざりしていたヨーロッパの人たちは、島流しになってもなおナポレオンを恐れた。
そして恐れの矛先は、ナポレオン2世であるフランツに向けられた。
フランツそのものに対してではなく、彼が「ナポレオン」の名のもとに権力に利用され、戦争の推進力となる存在に祭り上げられることを恐れたのだ。
なので時の大政治家メッテルニヒは、フランツを決して国外に出そうとしなかった。
母親のマリールイーゼがパルマに女王として赴任しても、フランツは随行を許されなかった。
まだまだ母親の恋しい幼いときに母親から引き離され、父親と同じ道を歩むことを恐れた周囲から徹底してフランス人としての思想を奪われ、ドイツゲルマン思考を叩きこまれた。
幼くして誇り高いフランツはそれを嫌がり、最初はドイツ語の習得に抵抗する。
皇帝の孫として丁重に扱われながらも事実上の捕虜として籠に閉じ込められた鳥同然だったフランツは、かつて戦野を駆け抜けてヨーロッパ中を手中に収めた父ナポレオン1世に憧れを抱く。
しかしナポレオンはウィーンでは危険な暴君として見られ、母マリールイーゼはパルマで極秘にナイペルク将軍との間に子供を作り、フランツに会いにウィーンに来ることは極稀だった。
(うちの姉は“ナイペルクとの間に子供作りすぎだろ
”って怒ってた…
)
フランツは孤独だった。
美しく、賢い青年に成長した彼は社交界では女性達の憧れの的だったけど、彼の高い才能や人気は、メッテルニヒにとっては脅威だった。
親ナポレオン派に担ぎ出されたら、ヨーロッパはまた戦争への道を歩んでしまう。
彼を偶像として取り込もうとする人々、また、それを恐れ彼を暗殺しようとする人々もいた。
メッテルニヒや、彼を可愛がっていた皇帝は、彼を利用されないために、また守るために、国外に決して出そうとしなかった。
フランツ自身は野心は持っていなかったけれど、父ナポレオンを尊敬して、よく勉強し、軍事訓練に励んだ。
でも、不幸なことに彼は体が弱かった。
父ナポレオンは背が低い代わりに胸板が厚く、丈夫だった。
フランツはすらっと背が高く美しい代わりに胸が薄く、結核を病んでいた。
その中でムリな訓練に励んだため、彼の健康状態は悪化した。
病身を押して何度も軍に復帰したけれど、ついに出歩くことすら儘ならなくなり、まだ二十歳そこそこの若さで病床に伏した。
フランツの無念さはいかばかりか…![]()
「人生は始まる前に終わるのだな」
「誕生と死が私の全部の歴史だ」
「揺り籠と墓場の間には大きな無があるだけなのだね」
って語ってたっていう…。
フランスから連れてこられ、両親もそばにおらず、国に閉じ込められ、今はただ死を待つばかり。
父のようになりたいと、大きな希望を抱いていた若き青年が、死を前にして自分の人生に意味を見出せなかった言葉の数々がやりきれなさすぎて胸が痛い…。
危篤状態になってようやくマリールイーズが病床に訪れ(遅いよ
)、母に看取られてフランツはわずか21年の生涯を閉じる。
彼自身は利発で美しく、礼儀正しくて、個人としてはとても愛される人だった。
教育係のディートリヒシュタイン先生や親友のプロケシュオステン大使、ゾフィー(エリザベートの姑でフランツヨーゼフ1世のお母さん)のように、彼を彼として見る人は彼を心配し、味方になってくれた。
だけど、ナポレオンの息子という大きすぎる肩書きは、フランツそのものより遥かに強大で、生涯彼についてまわり、彼を悲劇の運命から逃がそうとしなかった。
こんな悲しい話ある~~~~~~???![]()
![]()
もう私夜中に読みながら可哀想で可哀想で…![]()
ゾフィーってミュージカルの影響でエリザベートいびりの意地悪ばあさんとしてのイメージしかなかったけど、フランツを守ってくれてありがとうって感謝したくなっちゃったよ![]()
あと興味深かったのは、「死」の概念。
ヨーロッパ人にとって死は安らぎであり慰めであり、身近な友達だったっていう…。
エリザベートの死への憧れも、彼女特有のものでなく、当時のヨーロッパでは広く蔓延してた一般的な思考だったんだな。
これってやっぱり死後は神に召されるっていうキリスト教ならではだよね。
仏教だと輪廻転生、因果応報という考えだから、死は業を持ち越したままの次の生への出発に過ぎず、決してゴールにはならない。
そういう違いもとても面白かった。
次は同じ著者が書いてるエリザベートの伝記読んでみようかな![]()
ってその前に他に借りてきた本読破しなきゃ。
最後にナポレオン2世ことフランツの肖像を…。イケメン…(←邪目線)
幼少期


