学生時代トルコを旅行したときの話。
頭の中に仕舞っておいた記憶、忘れないうちにいつかどこかに書き留めたいと思っていた。
学生時代は何度か海外旅行をしたけど、卒業前のトルコ旅行は特別だった。
それまでは、クラブだったり、親戚の伯父伯母だったり、庇護してくれる人たちとの旅行だったけど、トルコは初めて友達との二人旅、しかも完全フリープランだった。
一緒に行ったのは、一つ上で、大学院1年生だった友達のあいぼん。
あいぼん、普段は可愛い性格で、あんまり年上っぽさを感じないけど、いざっていうときにはやっぱり頼りになる、半分姉さんみたいな友達だった。
行き先をトルコに決めたのは、なんとなく…。東洋と西洋の融合した神秘っぽさに惹かれたのかな。
ちょうど出発する2週間前ほどだったか、イスタンブールで小規模なテロがあって、周りにはずいぶん止められたけど、テロへの恐怖より旅行へのワクワクの方が強くて、強行した。
この旅行、最初から波乱だった。
まず、オランダでの乗り継ぎで、結構時間があったのでせっかくだからちょっと遊んでこようと空港を出て地下鉄にのったところ、私、財布をすられた…![]()
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旅行、初日。しかも、全財産…![]()
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プロのスリ集団だった。電車にのりこむときに、若い男の人たちが何人か降りてきて、そのうちの一人がいきなり前に立ちふさがって、なんだかわけの分からないことを叫び、そのままどっかに行ってしまった。
「なんだったんだ今のは…」と思いながら電車に乗り込んだらもう財布がなかった。
その男の人に気をとられてた隙に、仲間がバッグから財布をすったっぽい。
私がかなりのヌケ作なのもあるけど、ほんと目にも止まらぬ犯行だった。
勿論凹んだし、あいぼんも心配してくれたけど、そのときは長いフライトであまりにも疲れ果ててて、涙もでなかった。
とりあえずこれから始まる旅行、あいぼんのお金を借りてやってくしかなくなったので、一気に貧乏旅行になってしまった。
オランダは乗り継ぎの場所だったので警察にもいけず、そのままトルコに渡って、親にすぐ電話してクレジットカードなどは全て止めてもらった。
テロを心配して、私が旅行を強行したことを最後まで怒ってた姉などは「そら見たことか」と言わんばかりだったけど、母親は何も言わずに止めてくれると約束してくれた。(私はうちの母親のそういう鷹揚としたところが大好きだ)
トルコ一日目は、マーケットに行った。
テロがあったばかりで旅行者が激減していたので、日本人の私とあいぼんは格好のカモだったようで、行ったレストランでは頼んでもない料理が出てきて、完全に純粋な田舎娘だった私達は、「これはサービスかな」と好意的に解釈し、全部食べてしまった。(アホすぎる…)
そして割高の支払いをさせられるはめになってしまい、ただでさえすられて少なくなってしまった旅行費が、更に少なくなってしまった。
私達は完全に凹んだ。
言わずもがな私は財布をすられてたし、あいぼんが出発のときからずっと風邪をひいていたので、もともと凹む要素は多かったのだ。
ホテルに帰って言葉もなくベッドに倒れこんだ。
あいぼんが、あえて明るく、「風邪にききそうだから、リンゴでも買って来ようかな。さくらも行く?」と声をかけてくれた。
もうどこにも行きたくない、このまま寝ていたい…と思っていた私だけど、「行く」と返した。
突っ伏しててもこのまま凹んでるだけだけど、外に出れば何か変わるかもしれない。
二人でホテルの近くの果物屋さんに行った。
日本みたいにリンゴばら売りしてなくて、「一個でいいんだけどね、困ったね…」と話していたら、隣から「あんたたち日本人か!」と突然声をかけられた。
日本語にびっくりして声の主を見ると、帽子をかぶった小さいトルコ人のおじさん。
「日本人です…」と返したら、「この時期によく来たな!ワタシ日本とトルコの旅行会社の社長やってるよ!テロがあったから日本人今誰も来てないよ!びっくりしたよ!」って。
異国で傷ついてた私達、人の良さそうなおじさんの日本語に嬉しくて嬉しくて、「そうなんですね!私達日本から来た大学生の旅行者です!」とはしゃいだ。
親切なおじさん、あいぼんがリンゴ一個だけ買える様お店の人に頼んでくれて、せっかくだからと近くでお茶することになった。
「ワタシ、オグズ。言いづらいからオズさんでいいよ。オズの魔法使いのオズさん」
そこで私が財布を盗まれたことや、レストランでぼったくられたことを話したら、オズさん、同情してくれて、「お金のかからない観光場所を教えてあげる」と、私たちの持ってた「地球の歩き方」を使って、「ここは行く価値ない。ここはすごくいい」とアドバイスしてくれた。
そして、「トルコに来ていい思い出ないとか言われたイヤだから、お茶くらい奢ってあげる」と、ご馳走してくれた。
親切なオズさんと別れ、私とあいぼん、ウキウキしてホテルに戻った。
出かけてよかった…。やっぱりじっとしてたら何も変わらないけど、動いたら何かあるかもしれない。そう思った。
次ぎの日から、オズさんの勧めてくれた場所に行くようになった。
観光客がほとんどいなくて、地元のイスラム教徒が敬虔に祈りを捧げてるモスクの美しさは素晴らしかった。
トルコの街並みの美しさは素晴らしい。そして朝晩街中に一斉に流れるコーラン。
私たちは仏教徒なのに、コーランを聴いてると不思議と気持ちが穏やかになってしまうので困った![]()
イスラム過激派のテロが頻発してたせいで、イスラムは怖いみたいな風潮があったけど、大部分のイスラム教徒たちは平和を願う、穏やかな人たちだ。
夜明け、または夕暮れに、流れるコーランをバックに浮かぶモスクのシルエットの美しさと来たら…。
海外はあちこち行ったが、街並みの美しさはトルコが一番だ。
ある日、塔にいくことにした。名前は忘れてしまったけれど、トルコの街を見下ろせる展望台がある、高い塔。
行く途中、迷ってしまった。
立ち止まってガイドブックを見ながらあいぼんと話してたら、「どこいくの?」と日本語で声をかけられた。
若い男の人二人組だった。
「この塔に行きたくて」と話すと、癖のない、ものすごく流暢な日本語で説明してくれた。
2人とも日本に留学経験があるそうで、そのまま塔まで案内してくれることになった。
塔まで着くと、その2人組、「俺たちは下で待ってるから」と言ってきた。
「なぜに待つ…??」と内心思ったけれど、あんまり気にせずあいぼんと塔に上った。
美しいイスタンブールの街が一望できる、素晴らしい場所だった。
「すごいすごい!」とはしゃぐ私に、あいぼんが、「あの人たちちょっと危なくない?」とさっきの二人について言って来た。
当時田舎者の上に純粋バカだった私、「人をそんな風に疑うのはよくないよ。せっかく親切に案内してくれたのに」とあいぼんを諭した。
素直なあいぼん、「そうだよね…。考えすぎだね」と言ってくれた。
塔を降りたらさっきの2人組がそのまま待っていた。
背の高い人と金髪の人。
「おいしい食事のお店に連れてってあげる。」と言われ、スープのお店に連れてってもらった。
「ラーメンのスープと同じだよ」と勧められた羊の胃袋スープ、とても飲めたもんじゃなかった。
「ムリーっ!」と言ったら2人とも笑いながら、もっと別のスープを勧めてくれた。
やっぱり単純にただのいい人たちじゃんって私は思った。
店を出たら、「せっかくだからバーで一杯飲んでいこう」と言われた。
正直そろそろ帰りたかったのだけど、食事を奢ってもらった手前断りにくく、言われるがままにホテルのバーに行った。
席は金髪の人と私が隣に座り、あいぼんと背の高い人が隣同士になった。
金髪の人、日本に留学した際付き合ってた日本女性にふられたことを、いまだに引きずっていると話してくれた。
今となってはそれは口説き文句のプロローグだったのかもしれないけど、当時人を疑うことをしらなかった私、「この人を励まさねば!」という熱意に燃えた![]()
「誰かが自分を幸せにしてくれるんじゃない。自分で自分を幸せにする力を身につけなければ!本当の恋愛は依存じゃない。自立した個人と個人の間に生まれるものだ、さあ元気を出せ!」と、金八先生のような熱意で励ました。
その金髪の人、最後には潤んだ瞳で私を見つめ、「ありがとう!!元気でたよ。あなたほんといいこと言ってくれる。」と感謝の言葉をかけてくれた。
私は嬉しかった。トルコでトルコ人を励ましたいい思い出が出来たと思った。
ちなみにその間、あいぼんと背の高い人が何を話してるのかは一切聞いてなかった。
そろそろ帰ろうかということになり、清々しい思いで出口に向かう途中、あいぼんがこそっと「さくら、あの人気持ち悪い。隣でいやらしいことばっかり言われた」と言ってきた。
そのときの衝撃…![]()
私が金髪の人と熱い青春劇場を演じてた間、あいぼんがそんな大変な目にあってたのかと愕然とした。
ホテルを出ると金髪の人は、お母様と妹さんが車で迎えに来て、「じゃあね~!ありがとう~!」と帰っていったが、背の高い男の人はホテルまでタクシーで送ると言い出した。
そもそもついていった私たちが(ってか私が)悪いのだけど、裏切られた気分になった私、背の高い男の人に対する怒りが湧き上がってきた。
いきなり私の態度が悪くなったことを察知したその背の高い人、結局何事もなくタクシーでホテルまで送ってくれたのだけど、途中あいぼんにこっそり「さくらは何を怒っているの?」とびくびくしながら聞いたそうで、ホテルについてからは「ボクちゃんとホテルまで送ったでしょ?怪しくないよ」と言ってそそくさと帰っていった。
私はものすごく凹んだ。
財布をすられたときより、レストランでぼったくられたときより凹んだ。
あいぼんは塔の上で「あの2人、なんか危ない」って言ってたのに、私が「大丈夫だよ」と言いくるめたせいで、私は何事もなかったのにあいぼんだけをイヤな目に合わせてしまった。
あいぼんは「あいつ、さくらが怒ってたから最後びびっててすっとした」と笑ってくれたけど、私はとても笑えなかった。
しかもその夜、羊の胃袋スープがあたって、夜通しトイレでリバースしたっていう、泣きっ面に蜂のような状態だった。(何やっとんねん…
)
あいぼんにはこれ以上迷惑かけられないので、それも内緒にしてたけど、凹んでるわ胃が気持ち悪いわで次の日も私のテンションは激落ちだった。
ホテルを出て、観光先に向かう途中の坂道、あいぼんが、「さくら、何か私のこと怒ってる?」と聞いてきた。
私はびっくりした。「え!?なんで!?怒ってないよ。怒ってるわけないじゃん。」
あいぼん「ほんと?昨日の夜からなんかしゃべらないから。怒ってないなら良かった。」
そう言われたとき、ガマンできずに私は泣き出した。(イスタンブールの往来で…
)
私「あいぼんごめんね~~~~~~~~
」
あいぼん、突然泣き出した私にびっくり。
私、泣きながら、私のせいで昨夜はあいぼんを嫌な目にあわせてしまったこと、そもそも旅行の最初から財布すられるわ何から何まで迷惑かけ通しで申し訳なさ過ぎることを語った。(ほんとダメ女だな…)
あいぼんは私を一生懸命慰めてくれた。
そして私が泣き止んだら、「あのねさくら、」と潔い眼差しで言ってくれた。
「財布をすられたこと、なんの意味があるんだろうって考えてたの。
私たち、ちょっと浮かれてたよね?テロがあった国に行くなんてって周りに反対されたけど、“卒業前に海外でいろいろな事吸収したい”って思いで行こうって話してたのに、いつの間にか単なる旅行気分だったよね?
もし初日に財布盗まれずに、あのまま浮かれてたら、もっと危険な目にあってたかもしれないよね。
だから、気を引き締めなさいっていう意味があったんじゃないかなって思うの。」
あいぼん…![]()
「昨日のことだって、2人ともナンパ目的だっただろうけど、さくらと話してた方の人は結局下心出すことも無くいい思い出で終わったじゃない?私もきっとさくらみたいに隙を見せずに接してたらあんな思いしなかったと思うし。自分はもっと凛とした女性にならなきゃいけないって反省してたんだ。」
あいぼん…![]()
私が悪いのに、なんでそんな風に言ってくれる…![]()
そしてあいぼんはやっぱり偉大な姉さんだ。
私は財布すられたことも、ほいほいナンパにひっかかったことも、単純に凹んだだけだったけど、あいぼんはそこから何かを学ぼうとして、実際に意味を見出し、私に教えてくれた。
単純な私はえらく感動した。そうだやっぱり失敗にだって無駄はない。
そうやっていっぱい失敗して、凹んで、でもそこから何かを見出せたなら、単純に楽しいだけの観光旅行より遥かに自分たちのためになる。
私たちはまさにそのための旅行をしようと約束しあってたんじゃないか。
「ありがとうあいぼん…!」
なるほどと納得して、感動して、一気に元気になって、あいぼんとも更に友情も深まり(注:往来)、またもや足どり軽く坂道をおりはじめたときにあったのは…。
「あんたたち、また会ったね!」
オズさ~~~~~~~~ん![]()
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私たちにとってオズさんは最早トルコの善意の象徴だった![]()
再会を喜んだら、オズさん、「ワタシのオフィス、すぐそこよ。良かったら帰りに寄って」と言ってくれた。
胃は相変わらず気持ち悪かったけど、晴れ晴れとした気分でその日の観光を楽しみ、帰りにオズさんの事務所に寄った。
オズさんの会社、日本-トルコ間専門の旅行会社。
スタッフは3人で、その内一人が日本人の年配の女性だった。
日本から来たとオズさんが私たちを紹介してくれたら、その女性、とっても嬉しいことに「ほっとするでしょ」と日本の緑茶を出してくださった。
トルコで会う生粋の日本人。しかも年配の女性という心安らぐ存在、本当に嬉しかった。
私が胃を壊したことを告げたら「日本の胃薬わけてあげる」と胃薬をわけてくれた。
そしてオズさんは、私たちが前日ナンパについていってしまってあいぼんがイヤな目にあったことを打ち明けたら、私たちを叱ってくれた。
「あなたたち、日本でも知らない男性に突然食事に誘われたらついていくの?トルコでもどこでも一緒よ。そうやって考えなしについていって危険な目にあったら、自分達が悪いのにトルコが危険な国なんていわれて、冗談じゃないよ!」と。
ほんとその通りです…。
私たち、かなりしょんぼりしたけど、嬉しかった。
そしてトルコに来てから、現地の人にたくさん声をかけられたが、どこまでが単なる友好でどこからが下心なのか判断に迷っていたけど、オズさんに、「日本でおかしいことはトルコでもおかしい」とずばっと言ってもらって、それからはだいぶ線引きが出来るようになった。
オズさんとの出会いは本当に大きかった。
その日以降は楽しい思い出ばかりになった。
最終日、早朝ホテル出発だったのに、現地の旅行会社の人がすっかり忘れてて全然迎えが来ず、電話したら飛び起きて慌てて来てくれたけど、時間ギリギリだったのでお尻が浮く位乱暴な運転で空港まで送ってくれた。
(しかもひっきりなしに“ごめんなさい!トルコを嫌いにならないで!”と言っていた。嫌いになんかならないよ~
)
空港でも私とあいぼん超あせってチェックインしようと並んでいたら、後ろの人たちが英語で、「君たちアフリカに行くの?」と笑いながらからかってきて、「え?何なに?」とうろたえてたら、「ここアフリカ行きの飛行機だよ」と教えてくれて、「ひゃ~!間違った!!ありがとうございます!!」と、大爆笑に見送られながら慌てて正しい列に並びなおしたり…。
あいぼんと、「もう~っ最後までなんでこんなドタバタなの~~~!?」と二人で大ウケした。
オズさんとはお互いのメールアドレスを交換して、日本に帰ってからも何度かやり取りした。
特に年明けの挨拶メールは、毎回お互い「今年も世界が平和でありますように」と送りあい、オズさんはイスラム教徒として、私は仏教徒として、違う宗教だけど同じ平和を望んでいる。そんな交流が嬉しかった。
ここ2年位やり取りしなくなってしまったけれど…「あの時は本当に助かった」と、いつかきちんと恩返しをしなくてはなと思っている。
帰国後すぐ、私は無事大学を卒業し、あいぼんはそのまま博士課程に進み、海外で研究成果を発表したり、論文が学術誌に掲載されたりと、才女の道をひた走り…去年結婚して、今はお腹に赤ちゃんがいる。
あいぼんとも卒業後は何年かに一度しか会わなくなってしまったけど、先日「さくら~。会いたい♪今度メキシコ料理を食べにいこう」とメールが来たので、あいぼんの出産前に行くつもりだ。
「あのときこうだったねー」って久しぶりに懐かしい旅行の話をたくさんしよっ。
あ~何年も記憶の中にあったこと、ようやく記憶を移しかえられてほっとした…![]()
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他の海外旅行記も気が向いたときちょっとずつ書き留めていこ。