さ、さ、寒い…![]()
なんなんだ突然この寒さは…![]()
今年の冬、こたつだけで粘ってた我が家も今夜ついにエアコンデビュー。
あー…もうこれからはなし崩しにつけちゃうんだろうなー![]()
しかしエアコン…なんてあったかいのかしら![]()
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家って本当にありがたいな。風雪から身を守ってくれる、あったかい我が家![]()
七草粥の1月7日、そろそろ箱根駅伝のニュース関係もつきかけてきたところで、消えないうちに柏原くんの記事貼り付けとこ
残しておきたいとこだけ、抜粋。
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前日に5区で早大を逆転し、東洋大を3年連続の往路優勝に導いた柏原竜二(3年)は、早大・渡辺監督の胴上げをじっと見つめていた。
前日ゴール後に号泣した柏原は、この日は涙は見せず「泣いたら気持ちが晴れてしまう。悔しさは走って晴らしたい」。“新・山の神”は、来年の箱根で借りを返す。
(サンスポ)
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怪物が泣いた!
今季は不振で苦しんだ怪物が、箱根の山で完全復活。ゴール後に倒れるほどの激走で、表彰式では感極まって涙を流した。
何も覚えていなかった。それだけ出し尽くした。右手を力強く握りゴールした瞬間、柏原はその場に倒れ込んだ。仲間に抱えられて救護室へ。3年目で初めての経験だった。「途中で手がしびれて気持ちが弱くなった。でも、みんながゴールで待っているんだと思って走れた。気付いたら寝かされていて…」。目覚めた瞬間、目の前に仲間がいた。
「やったぞ、田中っ!」。チームメートの名前を叫んだ。「このチームで本当に良かった」と、人目もはばからずに泣いた。そこに怪物の素顔があった。
今季は不振にあえぎ、結果を残せなかった。ライバル校は山登り対策に力を入れてきた。スタート前は不安が募った。だが同学年の田中から「楽しめよ」とメールが届いた。「すごく苦しかったことを思い出したら『こんな23・4キロ、何とかなる』と楽になった」。攻める自分の走りを思い出した。10分前、酒井監督に電話で伝えた。「つぶれるか、行けるか、どっちかです。覚悟しておいてください」。
首位早大と2分54秒差の3位でタスキを受けた。意を決して飛ばした。6・7キロすぎに前を行く東海大の早川を抜いた。10キロ地点のタイムは昨年を26秒も上回った。それでも早大は見えない。
折れそうになる心を声援が支えてくれた。「縮まっているよ!」。昨年「ゆっくり走れ!」とやじられた沿道の声が、背中を押してくれた。
昨年の箱根後、インターネットの書き込みが「心」を狂わせた。首位明大を抜いた時、相手の余力を見るために顔を何度も見た。それを「にらんだ」とされた。ガッツポーズには「嫌みだ」と書かれた。もともと目立つことが嫌いな性格。心が傷ついた。2月の右ひざ痛の影響で練習不足となり、体も崩れた。
昨年8月、福島・いわき市に帰り、母校いわき総合高の合宿に参加した。そこで恩師佐藤修一監督に諭された。「高校生と走って苦しい顔を見せろ。隣でハーハー言うのは恥ずかしいだろうが、それをしなきゃ始まらないんじゃないか?」。それが転機になった。「1回泥くささを見せれば、何回見せても同じ」。10日間、泥にまみれて吹っ切れた。11月後半からは半月で約800キロを走破した。
4区間で早大に負けながら、1人で逆転してみせた。そんな柏原を昨年「てんぐ」とたとえた酒井監督は「今年は人間でしたね」と笑った。仲間を信じて泥くさく、人間くさく走り抜いた。その先に復活の光があった。
(日刊スポーツ)
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山の神がほえ、うれし涙を流し人間の顔を見せた。
「やったぞ、田中~ぁ!」。表彰台で顔をくしゃくしゃにし、絶叫する柏原。3年連続往路優勝のゴールテープを切った喜びを、テレビの向こうで見守っていた同学年のチームメートに思い切り届けた。
見た目は過去2回と同じように高低差864メートルを駆け抜けていた。37秒先にスタートした東海大の早川を6・7キロでかわすと、2分54秒先の早大・猪俣も16・2キロで抜き去る。ビデオを見ているかのように繰り返された首位交代。だが、内面には比べものにならない苦悩を抱えていた。
昨年春、これまでになく精彩を欠いていた。「春先から夏まですごい苦しかった。日本選手権も夏合宿も、ずっと腐っていた」。走れず流れる不調説。秋の駅伝シーズンも出雲は欠場、全日本は区間4位と振るわない。強気が身上の男もさすがに「今シーズンはうまくいかないことばかりで不安になった。自分の中で弱くなっていた部分はある」と、走る前も走っている最中も“不安”という敵と闘っていた。山を登っている最中、3年間で初めて後ろを振り返ったほどだった。
それを打ち消してくれたのは「いっつも気に掛けてくれるいいヤツ」という田中貴章からの「楽しめよ」というメール。前回は「貯金を使っていいよ」と柏原が冗談で気遣った友人から逆に励まされ、他のチームメートからも続々とエールを受け取った。その思いが天下の険に挑む山の神に力を与えた。
「僕の仕事は往路優勝。みんなが待っていることだけを頭に入れて走った」。気力を振り絞り、粘る早大から必死に逃げる。最後は手がしびれ、ゴールした瞬間の記憶もなくし、気が付いたら医務用のテントで寝かされていた。
「(区間新より)往路新の方がうれしかった。駅伝はチーム。全体の力がアップした。明日も東洋らしい攻めの走りで優勝したい」。
3日、柏原は仲間たちが大手町に真っ先に鉄紺のたすきを運んでくれるのを信じている。山の神ではなく、東洋大の一部員として。 (川村庸介)
(中日スポーツ)
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カッシー…
本当につらい一年だったんだね。
多くの人は、一年に一回、箱根駅伝で走ってるカッシーしか観ないから、不調不調と言われてても、なんだかんだ勝つと思ってただろう。(私も含めて)
でも、テレビに映らない場所で、暑い日も寒い日も一人重圧と闘いながら、黙々と走って走ってひたすら走って…。
その苦労を思ったら、あの栄光の23キロはまるで一瞬だろう。
ネットの心無い中傷に傷ついて(あの“チラ見”は相手の余力を見るためだったのね…。クセだと思ってた…)、不調だと騒がれて、一年目の優勝から「騒がれるのがイヤだった」と言っていたカッシー、ポーカーフェイスの裏での苦悩もたくさんあったと思う。
それでも走ることをやめない、やめられない。本人にとっては苦しいこともたくさんあるだろうけど、逆にそれほどまでに情熱をかけるものを持ってるって、ちょっとうらやましいなぁ…。
そして自分自身の弱い心と闘って打ち勝つ姿って、なんて美しいんだろう。
来年はカッシーにとって最後の箱根駅伝。
たとえ社会人になって陸上を続けるとしても、卒業後のカッシーの走りをテレビで目にする機会はガクンと減るだろう。
カッシーの襷にこめた輝く青春のきらめきを、最後まで追っていきたい。
頑張れカッシー![]()
去年のカッシーの快走、ハイライト動画。
http://www.youtube.com/watch?v=B77TJ5dQRkc