今日新聞に興味深い記事が載っていた。


終戦2ヶ月前の1945年6月14日、日比谷公会堂でN響によるベートーベンの「第九」が演奏されていたというもの。


へ~…。


(一応)ベートーベンフリークのつもりなのに知らなかった…。

ベートーベンの第九、長引く戦争に疲れきった人たちの心に、どれだけ勇気と希望を与えたことだろう。


ベートーベンの音楽が人の心を打つのは、曲にベートーベンの心と生き様が溢れているからだと思う。


ベートーベン、記録によると背は小さく頭は大きく、赤ら顔でニキビ面でガニ股で、お世辞にも女性にモテる外見とは言いがたかったようだ。

耳が悪かったので話すときもつい怒鳴り声になってしまうし、加えてもともと短気なので、敬遠する人もいたよう。


そんな一見イケてないベートーベン(笑)から、あんな天上の音楽のような美しい旋律が生まれるのだから驚愕してしまう。


「エリーゼのために」「ピアノソナタ悲愴」「月光」「交響曲6番田園」


耳が悪くなったことを人に隠していたベートーベン、人付き合いはもともとうまい方ではなく、その愛情は自然へと向けられた。


「私は一人の人間を愛するように一本の木を愛する」


交響曲田園は自然への愛情があふれ出ている。本当に美しい曲。

四楽章の旋律をフルート教室で吹いていたら、そこの社長がしみじみと「い~い曲だねぇ…」と呟いていたことが忘れられない。


そして「悲愴」の第二楽章。

耳が聞こえなくなったベートーベンが、ある日うっとりと夢みるような表情でピアノを弾いていたそうだ。

でもそのピアノからは音が出ていなかった。耳が悪いベートーベンは音が出ていないことに気付かなかったのだ。

音が出ていないにも関わらず、ベートーベンは自分の内なる音楽に耳を傾けていたのだ。


音が出ていなかったので、ベートーベンがなんの曲を弾いていたのかは分からないが、このエピソードを読んだとき、私の中で鳴った旋律は悲愴の第二楽章だった。

あの激情のベートーベンのどこからこんな音楽が鳴り響いてくるのだろう。


勿論、激情があふれ出てくるような激しい曲もたくさんある。


「ピアノソナタ革命」や「交響曲第五番運命」なんかは有名だ。


前述の静かな曲とは対照的な嵐のような曲だけど、人間性においても「優しさ」と「激しさ」は表裏一体かなと思う。


激しさのない優しさなど、本当の優しさではないと私は思う。


本当に優しいからこそ人は何かを守ろうとして怒る。不正に対して声をあげる。

ベートーベンの時代は文筆家が弾圧された時代でもあった。

ベートーベンは、文章で表現が許されない民衆の思いを音楽で表現しなくてはという使命にかられていたようだ。


ベートーベンはきっと、不器用なほどにまっすぐだからこそ、社会と迎合して生きていけなかったのだろう。

そこが私は好きで、おそいかかる苦難に真っ向からぶつかって、苦悩を突き抜けて歓喜へ至った人生を歩んだからこそ、第九という神曲が生まれたのだと思う。


ちなみに第九が生まれるまで、合唱つきの交響曲はなかったそうな。

今でこそあちこちで当たり前に演奏されてるが、当時は超~斬新だったんだろうな。


熊川哲也のKバレエカンパニーが第九で演じていたけど…真央ちゃん、フィギュアでもどうかしら…笑

まさしく苦悩をつきぬけて歓喜へ至れなフィギュア人生だと思うんだけど。タチアナプロでぜひ!


おまけ

今日姉から、「今週のMステ録って!!」とメールがきた。


基本頼まれたらイヤとはいえない性格の私だが、唯一生来のツンデレっぷりを発揮できる相手が姉ドクロ


姉に頼まれたことは基本一度は必ず「いやだ」と断るのが毎回のパターン(←やな妹だな)


というわけで今回も「ええ~だるーい。空のDVDもないしー」と返信してやった。


そしたら姉から「お願いお願いお願い!!」という文面と共に真央ちゃんの画像が…ニコニコ


ティアドロップス☆☆
足が一本の線のようになってる美しいスパイラルラブラブ



ティアドロップス☆☆
全開笑顔の真央ちゃんラブラブ(姉ちゃん画像の趣味いいやないけばいちゃん



最初から録ってあげるつもりだったが、「ちっ!しかたねーな」と返した。(←ほんっとやな妹だな)


姉の返信「サンキューバーリィッ!!(^3^)-CHU☆」だって。


今回実家に帰ったとき、母親がやたら「オッケーバーリィッ!!」と言っていたのが、どういう意味なんだろ…。


最近あんまりテレビ観てなかったのだけど、何かのはやり?


早速姉がメールでパクっていた。


あ、もう11時…。早くお風呂入って12時前には寝なければ。


グンナイバーリィッ!流れ星