真央ちゃんのフリーリピが止まらない![]()
真央ちゃんの「鐘」、今までのフリーの中で一番好きかも。
ちなみに一番好きなSPはラベンダー。
一番好きなEXは別れの曲。
こうして並べてみると短調の曲ばっかり…^^;
私は真央ちゃんの持つ孤高性、悲哀性がすごく好きだ。
真央ちゃんは陰性か陽性かといえば確実に陽性。
リンクに出てきただけで辺りがぱぁっと一段明るくなるような華もある。(去年のファイナルの物足りなさでそれを感じた人も多いのでは)
でもなぜか、どんな曲を滑っていても、微かな悲哀を感じさせる。
悲哀と言っても嘆き悲しむようなものではなく…どういえばいいのか…。
例えば愛する人と、夕陽が海に沈んでいくような、美しい光景を観たとして。
「ああ美しい…」と感動しながらも、この瞬間はもう二度と訪れないんだろうなとふと時の儚さを感じてしまうような、一抹の寂しさ。
寂しいんだけど、だからこそそっと大切に抱きしめたくなるような愛しさ。
そんな感情に似ている。
そしてあの孤高性。
スケートをしてるときの真央ちゃんを観てると、特にラベンダーや鐘のステップでは、なんかもう畏敬の念すら感じてしまう。
真央ちゃんが真央ちゃんじゃなくなって、他者を寄せ付けない領域で、無心で何か神聖なものと交流しているような、その姿を周囲は断絶された世界からみせてもらっているような、そんな気持ちになる。
真央ちゃん、チャルダッシュのシーズンなんか、よく表情がないだのなんだの言われていたけれど。
観客とのコミュニケーション能力や、アピール力があっこちゃんや大ちゃんのように無いため、表現力がないと散々叩かれていた。
では逆に聞くが、あれほど無心に滑りそのものに没頭できる選手が他にいるだろうか。
月見草という草がある。
どれもきれいに月の方向をむいているのだけど、もしこれが人間の心の中にあるとして。
子供でもない限り、全てが一つの方向に向くなんてことはあり得ない。
比重はあれど、同時にあちこちの方向に向いているはずだ。
でも真央ちゃんの心の月見草は、スケートをしている間一斉に一つの方向を向いている。
まるで赤ちゃんのように、一つのものだけに捕らわれて、他のものには見向きもしない。
心に入れない他者は、真央ちゃんのその姿をただ外から見つめるだけ。
混じりけの無い心そのもののような滑りを、感嘆して、畏敬の念に打たれて見つめるしかない。
フィギュアにあまり興味のない私の友人は、真央ちゃんのことを、「あの子のすべりを観てるとなぜか涙が出てくる」と言っていた。
ストイコは、「真央の滑りはとてもピュア。彼女はただスケートをしている。そこが好きなんだ」と語っていた。
カナダの人はインタビューで、真央ちゃんのことを「彼女はまるで雲の上を舞っているよう」と言っていた。
真央ちゃんが妖精のようだと評されるのは、所作の美しさや、体重を感じさせないジャンプだけではない。
頭では分からなくてもみんな心で感じている。真央ちゃんの演技を観ていると、まるで心が浄化されていくように感じるのは私だけではないはずだ。
未来ちゃんがどんなにポジションが美しくても、ヨナがどんなにたおやかに滑っても、真央ちゃんが唯一無二の存在なのはその孤高性なのだ。
ただ一人きりの世界で、無心で滑っているその姿は、なんて美しく、また、寂しいのだろう。
タチアナが選んだラベンダーも鐘も、真央ちゃんのその孤高性と悲哀をよく引き出している。
舞っているとき「真央ちゃん」という人格は感じなかった。
ラベンダーでも鐘でも何者か分からないけれど、人かも分からないけれど、何かがいた。
花びらのようだったり鳥のようだったり、暗闇を貫く光だったり。
それを表現させようとしたタチアナもすごいけれど、それを表現しきれたのは、真央ちゃんが良い意味で無になれる選手だからに他ならない。
真央ちゃんという稀有な身体能力をもつ憑依を媒体に、タチアナの高い芸術性が形となって私たちの前にあらわれてくれる。
こんな奇跡のような瞬間にめぐり合えたこと、フィギュアファンとしては心から嬉しく思う。
だから日本スケ連の飼い犬…じゃなかった青嶋某さん。
「(浅田には)“氷の上で自分を表現する、何かを表現する”というフィギュアスケートのもうひとつの大切な部分が、まだ少し足りない。いや足りないのではなく、それができる力を持っているのに、必要であることに気づいていないのだ。」
「上位の女子選手たちすべてが抱いている“素敵なスケートをしたい、自分を素敵に見せたい!”という思い。人前で何かを見せる者が持つ、ごく自然な思い。浅田に必要なのは、そんな気持ちを自然に抱くこと、そんなごく簡単なことだけのような気がする。」
「ほんの少し、見る人と向き合う気持ちを持つことができれば。ほんの少し、自分に足りないものに気づくことができれば。それだけで、来シーズンは完ぺきなスケーターが誕生するはずだ。
“ショートとフリー、両方をパーフェクトに滑ること。それを五輪でも世界選手権でも目標にして練習してきました”
世界選手権期間中だけでも、何度繰り返して言ったか知れないこの言葉。来シーズン、浅田からは「ノーミス」「パーフェクト」以外の目標を聞ければいいな、と思う。フィギュアスケーターとして大事な何かに気づくこと、それを目標として語れるようになること――そこからすべては、始まるはずだ。」
とか子供の作文みたいな的外れなこと言うのやめてくれる?
見る人と向き合って「あは~ん
ばきゅーん
」するのは一人でお腹いっぱい。
「彼女が完全な勝利を手にしなかったのは、“君の本当の力はこんなものではない”“トリプルアクセルばかりにこだわる真央でいてほしくない”、そんなメッセージがスケートの神様から送られているような気もする。」
寝言言ってないで今の採点方法の不透明さについて調べてみようか![]()
祈り