~ 否認 ~
『そうじゃない』と言ってよ(でなければ自分で言おう)
否認とは・・・
車の死角にあるような感覚。
そこにあるけれど見えない、解らない、気づけない。
当事者が受け入れがたいような過酷な事実が見えるのを防ぐ。
否認は役に立つこともある。
真実を受け入れるため、こころの準備をするのに時間を作ってくれる。
人は意図的に否認を行えない。否認の助けが必要。
ある意味否認はこころのホテルのようなもの。
一時的に留まれる場所。
しかし、ここに腰を据えて住処にしてしまう人も居る。
認めるか認めないかはともかくほとんどの人はその時点で何が起きているのか気づいている。
が、物事をしっかり見なさいとせきたてても上手くはいかない。
当事者は指差したものは見ずこちらに対する怒りしか見ないからだ。。。
自分(共依存症の)のすべきことは自分の死角に対処すること。
人に真実を認識させるには危険が伴うこともある。
キューブラー・ロスは否認を悲嘆の第一段階だと定義。
悲嘆のプロセス
否認⇒怒り⇒取引⇒悲しみ⇒受容
否認の次の段階が怒りということもあり
否認をあきらめた後に人がどんな行動に出るかは予測不可能。
勝手なことはしない方が良い。
ただ、否認を打破するのにハンマーは使わない。
愛情をもってやる。
こころの準備が整って安心感を抱いたとき、人は真実が見えるようになる。
進んで見ようとすることが鍵。
が、真実を見るにはときに酷い痛みを伴うこともある。。。
否認しながら生きているとどうなるか
↓↓
物事がモヤモヤと混乱し、自分自身と繋がっていないような気持ちがする。
否認を続けると病気になる場合も・・・。
真実を遮断するには膨大なエネルギーが要る。
↓↓
大量のクスリやアルコール
否認していると眠くて仕方ないときもある。
ぐったりと疲れてイライラするときは
否認に関わる二つの行動のいずれかをしているかも知れない。
↓ ↓
・否認しているか ・真実を明らかにしようとしているか
否認はいろんな喪失感を遮断してくれる自衛手段だが
その力を過小評価してはいけない。
否認する人は嘘をつきがちだと思うかも知れないが
大抵の場合彼らが嘘をつく相手は自分自身だ。
否認から抜け出すには・・・
真実を明らかにして欲しいと神(または魂)に祈るという手がある。
否認から抜け出すことは受容の段階に近づくことでもある。
否認を手放すと人生が楽になる。
空想の世界が露呈しないようにすべてをコントロールしなくてよくなる。
余力が出てくる。
わたし達は真実を白昼のもとさらすことができる。
否認するのもしんどいが
夢や大切なひとが何か失ったことを認めることも並大抵のことではない。
生き方として否認を貫いていない限り時が来ればわたし達は真実を目にするだろう。
真実が見えたときわたし達は神と魂の底知れぬ力を手にする。
真実はいつもわたし達を自由にしてくれる。
《演習》
1)真実が知りたいと訴える
『神さま、わたしは飲み込みが早いほうではありません。
( )に関する真実を教えてください。
わたしにも理解できるようにはっきりと見せてください。
わたしが気づくべきこと、学ぶべきこと、やるべきこと、
そして知るべきことも。どうかお願いします。。。』
訴えてゆだねる。
2)常に常識を保つよう努力する
毎日数分さいて自分の身の回りの出来事をリストにしよう。
あなたは何を感じているか。
何が起きているか。
何にイライラしているか。
誰に腹をたてているか。
セルフケアの為に何を実践して何を実践していないか。
何を感じているか。
わからない人は
『自分の気持ちを意識て゜きるようになりたい』という目標を書こう。
静かに時を過ごしたりお祈りや瞑想をすることで意識が高まるだろう。
わざと忙しくすることで身の回りの出来事を回避しようともするから
一日十分かけて『自分自身』を見つめなおそう。
※これは毎日のブログでできているかな・・・。
ひとまず終わり。
(.. )