わたしは女に産まれました | てぃあの解体心書

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~ 自らの人生哲学を語るブログです ~

PCに向かうとちょっと思考回路が改まってしまい書こうとしていたことが飛んでいってしまう。


ま、そんな中で一つまた潰して行きたいと思う^^


今回のブログタイトルの『わたしは女に産まれました』。


これに関すること。


ずっと以前にちょっと触れたかもしれないけれど


わたしは女に生まれたことに対しての罪悪感がある。


それは祖父や祖母は養子に入ってまで父の家系は家を継いできた家系で


わたしの父が長男であったけど男の子は生まれなかったから。


だからわたしには痛い視線が注がれた。


『○○ちゃんが男の子だったらネ・・・』


みたいな。


それを幼な心に感じていた。


わたしは祖父、祖母にとって初めての祝える孫だったらしい。


上に一人従姉がいたけれどその叔母さんは未婚の母を選んでいて内縁におさまっていて


当時はあまり歓迎されなかったらしい。


で、わたしはきちんと結婚した上で生まれた孫でありまた内孫ということもあり


なんだか歓迎はされていた感はある。


でもその歓迎されている感の中に時々ちょっと垣間見れたのが


『そう、これで男の子だったらね・・・。』


という周囲の感想だった。


厳格な家系でそれをわたしが男の子に生まれなかったばかりに


周囲をがっかりさせてしまったのだと感じてきていた。


だから女に生まれたことが何だか申し訳なく感じ


また女というものに対して嫌悪感を抱くようにもなっていた。


それは自分に女性らしさを許せなくしたりもしていたと思う。


リボンだとかフリルの付いた可愛いものってのは受け付けなかった。


何となく中性的を好み、と言うか色々考えるとそれが良いように思え


そんな格好を好んでしていたように思う。


結婚するときも子供を産むという時も


女性としての喜びが訪れる度に何だか毎回葛藤も起こしたりしていた。


わたしが女性として活き活きと過ごすことは


父や母を裏切りまた家のことを顧みらない薄情者のすることだと思えていた。


でもわたしは結婚し子供を産んだ。


どこかで諦められなかったのだと思う。


やはりどこかで女性として生まれた限りはできるだけその喜びを感じたいと思えたから。


で、出来るだけ感じたいと思えてきて妊娠、出産というものも望んで


不妊治療というものにも挑んだりした。


やれるだけのことをしてなら悔いは無いから。


目の前に世界最高峰の不妊治療の病院があるここ北九州で


それに挑むことなく子供を諦めることが出来なかった。


時に任せられなかった。


病気が落ち着いたものの妊娠できるその歳も迫っていて。





何だか話、脱線しだしていますが^^


わたしが女として何だか生きにくいことの大元の出来事の話でした。




今はもう祖父も祖母も亡くなりまた実家と連絡をとるのも辞めているので


少しづつ女として生きられつつあるのかも知れません。




その昔、売春していました。


もしかしたら自分の中の好まざる女を懲らしめたく


それを武器にしていたのかも知れません。