SF: /5
ミステリ:
”知る”不幸: /5
米澤穂信さんの「ボトルネック」を読みました。
嵯峨野リョウは2年前に恋人の諏訪ノゾミが死んだ
東尋坊へようやく来ることができた。
花を手向け帰ろうとしたとき、
不意に眩暈が襲った。
(おいで、嵯峨野くん)
リョウは崖下に落ちた、と思った。
そして気がつくとリョウは
自分の存在しない世界に来ていた。
”ボトルネック”というのは問題箇所みたいな
意味らしいです。
砂時計を想像するとそのキュっと閉まった真ん中の
ネック部分が細くて砂が少ししか落ちないです。
その部分を”改善”すれば砂はスムーズに下へ落ちる、
という姿からの連想みたい。
このタイトル、すごく残酷です。
その”問題箇所”であるボトルネックがどこにあるのか、
読み終わればそれは歴然、少なくとも主人公・リョウは
そう思っている。
リョウは母親のお腹の中で死んでしまった姉が
もしも生まれていたらという世界に紛れ込んでしまいます。
その世界ではリョウは存在しないので、
もとの世界との差はそのまま姉とリョウの存在の差です。
そんなん見たくない、ですよね。
何だかリョウ、不幸にもほどがある、というか……
読後はかなり暗い気分になります。
しかしその”不幸”っぷりに目が奪われがちなのですが、
米澤さんらしいちょっとした推理劇のような
要素を使って世界の差を演出するのは、
面白い趣向かな、と思いました。