十八代目・中村勘三郎・享年57才。
この訃報に「早すぎる」、「残念だ」という声があちらこちで聞こえた。
私は正直まだ勘三郎さんの死を受け止められていない。
舞台のどこかにいるんじゃないかとか、南座の楽屋でお顔してるんじゃないかとか
色々、色々、思い出してしまう。
私が勘三郎さん出会ったのは2005年。
ちょうど勘九郎→勘三郎への襲名披露興行中だった。
本当に粋な人だった。
もうあんなに「粋」な役者さんには出会えないだろうな・・・
イルミネーションとか照明とか電飾の仕事に就いて
初めてお会いした役者さんが勘三郎さん。
照れ屋で粋で、イルミネーションスポットなんかをご案内すると
「女房に見せてあげたいな」とか「好江もね、こういうキラキラしたのが好きなんだよ」とか
奥様の事ばかりお話をされていた。
勘三郎さんの父は、人間国宝17代目・中村勘三郎、母方の祖父は六代目尾上菊五郎、
奥様のお父様は人間国宝・中村芝翫・・・という名門中の名門、中村屋のサラブレッド。
先代が亡くなった今、中村屋は、当代の勘三郎さんなくしては考えられなかった。
勘三郎さんがいなければ、渋谷やニューヨークで歌舞伎が上演されることも
ラップや、英語を取り入れた歌舞伎も見ることは出来なかっただろう。
ぽかーんと、うちの階段の入り口にかけてある「中村屋」の暖簾を見ると、
勘三郎さんがいないっていう実感がまだなくて、今日お通夜・・・
と言われても受け止められなかった。
本当に今にも起きそうで起きそうで・・・
あんなに眠っているような故人を見たことが無かった。
まだ本人は舞台のどこかで振付の確認をしたり、
役者さん達にダメ出しをしてるんじゃないかな・・ってそんな気がする。
奥様にかける言葉が見つからなかった。
ただただ、呆然としてしまった。
最初は、涙も出なかったが、一度誰かが泣きだしたら、
みんな涙が止まらなくなっちゃった。
そして帰宅してすぐ、うちの階段入口にかけてある
勘三郎さんから頂いた「中村屋」の暖簾の前に、
勘三郎さんが好きだったビールとワインを置いた。
もう一度、飲みたかった。飲むといろんな話をしてくれる。
一度会ったら、絶対みんな好きになる役者さんだった。
私に「伝統的なことに関わっている以上は、基本が大事だ」
ということを、「型破り」の話で教えてくれたり
時には「事を敬して信」という論語を用いて話してくれた。
空手にも形があり、歌舞伎にも「型」がある。
基本を大事に出来ない人は新しい事にも挑戦できない・・・
そんな話を夜中までしてくれたことがあった。
そして、私が教え子の世界大会を控えいる事を話すと
「歌舞伎は日本の立派な文化だからね、これを持っていきなさいよ」
と言って下さったのが、画像にある隅取りの柄のハンカチと一筆箋。
中村屋の家紋「角切銀杏」が入った襲名披露興行時の一筆箋はもったいなくて
一枚も使っていなかった。
最初で最後、使ったのが弔問の日に勘三郎さんに宛てた最後の手紙だった。
暖簾は、招待頂いた襲名披露興行の楽屋で
たまたまお隣にいた二男の七之助さんとサインして
暖簾ごと下さった。
気前も良ければ気風も良い、粋で素敵な素敵な役者さんだった。
うちには、勘三郎さんから頂いた色々な品物があるけれども、
特に暖簾だけは特に本当に宝物で、私が死ぬまで大切にしようと思う。


























