岩波書店の「ファーブル昆虫記」第一巻を携えて、南仏プロヴァンス地方を旅してきた。
ヴァントゥ山、イサールの森、レ・ザングルの丘など、「昆虫記」ではお馴染みの地を訪ねるためだ。
むろん現地の観光案内所で無料配布されている地図に載っているはずもないので、書店で市街地図を買い求め、「昆虫記」の記述を頼りに探し歩いた。
戸惑ったのは、「昆虫記」からイメージする風景と、実際のプロヴァンスの風景が余りにもかけ離れていることだ。
たとえばファーブルがハナダカバチの観察をした「イサールの森」にしても、私たち日本人の感覚からすれば、それは「森」どころか林ですらなく、灌木の生い茂るただの藪だったりする。
ヴァントゥ山の荒涼たる禿山ぶりも、ちょっと想像を絶する光景であって、ファーブルには悪いが、こんな石灰岩むきだしの退屈そうな山を2000メートルも登る気はとても起きなかった。
このような半サバクのような土地だから、僕たちが虫とりするような感覚では、なかなか昆虫の姿を見つけることはできない。よほど根気よく注意深く探さなければならないだろう。何しろ昆虫の種類も個体数も日本と比べれば少なすぎるのだ。
昔から昆虫愛好家の少なくない日本とは違い、このような荒れ果てた土地で生物学者として、あれだけの業績をあげたファーブルは、希有な存在として驚嘆に値する。
ファーブルの隠宅「アルマス」は、ヴォクリューズ県の小村・セリニャン村にあり、現在はファーブル博物館として一般公開されている。
オランジュという小さな、しかし古代円形劇場や凱旋門など、ローマ時代の遺跡が残る古い町に、セリニャン村までの最寄りの駅がある。
こんな小さな町にも、ちゃんと観光案内所があって、市街地図がタダでもらえる。ところが現地の地図にさえ、ファーブル博物館への案内はなかった。
ファーブルは、フランスの最高勲章レジオン・ド=ヌール勲章を受章した学者であり、アヴィニョンには「Rue Henri Fabre」と名づけられた通りがあるぐらいだから、決して無名のはずはないのだが、昆虫学者に対する一般のヨーロッパ人の関心が低いのだろうか、前述したような自然環境だから無理もないが、それにしても淋しい限りだ。
仕方がないので「昆虫記」第一巻巻末の「ファーブルの旧地を訪ねて」という、訳者による記述を頼りに探すことにする。これによると、セリニャン村まで約10キロほどだ。
両脇にブドウ畑の広がる道をしばらく歩くと、高い塀に囲まれた家が見えてきた。
これがアルマスかな。
淡い緑色に塗られた門には「L'ARMAS J.H.FABRE」と書かれている。やっぱりここのようだ。
しかし門は固く閉ざされている。門の脇のくぐり戸をどんどん叩いたり、ベルがあるのに気づいてそれを押してみたりするのだが、留守のようだ。困ったなあと思案していると、後ろからクルマがやってきて、降りてきた女性が門を開けてくれた。
アルマスは、オークル系のバラ色で外壁を彩られた小さな屋敷だ。それでもファーブル以前の持ち主は、裕福な人物であったらしく、セリニャン村の人々はこの家のことを「城」と呼んでいたらしい。屋敷の前には大きなプラタナスが植えられている。
ファーブルが野外実験場にしていたこの屋敷の前庭は、想像以上に広く、昆虫記でも馴染みの草木で覆われていた。小さな水盤の左手にある竹林は、日本から取りよせたものらしい。この庭はセリニャンの庭師に造らせたものだが、外の荒涼たる風景とは別世界だ。
屋敷の2階がファーブルの研究室になる。管理人に案内されて、狭くて暗い階段を昇っていく。
研究室の北側の壁には書物がぎっしり並べられており、南側の壁には昆虫や貝の標本が、数は少ないものの綺麗に並べられていた。フィールドワークを主体に、生きた昆虫を観察し続けてきたファーブルだからだろう、存外に昆虫標本の数は少なかった。その代わり、貝類や鉱物や化石の類の標本は大量に蒐集されている。
壁に立てかけられているのは、ファーブルが娘のアグラエとともに観察したヌリハナバチの巣だ。ヌリハナバチの章は「昆虫記」のなかでももっとも印象に残っている箇所である。
次に薄暗い地下室に案内されると、ファーブルの描いた隠花植物の図譜が飾られていた。私も初めて見るものだ。「ファーブルの旧地を訪ねて」には、いっさい触れられていないから、長らく秘匿されていたものだろう。
これらはファーブルが10年がかりで描き上げ、金銭的に困窮するなかで買い上げの話を持ちかけながらも、堪えに堪えて手放さなかったために、今もアルマスに存在する。
この繊細で緻密な水彩画を見ると、ファーブルが文才のみならず、画家としても優れた才能を持っていたことがわかる。
ファーブルは、ミストラルらとともに、プロヴァンス語文芸復興の詩人としても活躍した。
「昆虫記」は、学術論文ではなく、平易な読みものとして発表された。だからこそ現在まで色褪せることなく読み継がれている。
ことに素晴らしいのが、随所に詩的な表現を織り込んだ文章の美しさ、その文学性の高さだ。
原文をあたったことはないので、林達夫と山田吉彦による翻訳からの印象に過ぎないのだが、それでも原文のもつ力を、林達夫の文体はよく伝えている。
最近では児童向けの翻訳や新訳もたくさん出ているが、私のなかの「昆虫記」は、林達夫の文体のそれであって、同じく衝撃を受けた梅棹忠夫の文体とともに、学生時代よくマネてみたものである。
ファーブルは進化論に対して強い反対意見をもっており、「昆虫記」のなかでも再三そのことに触れている。だが何万年もの長大な時間を扱う進化論と、今現在の状況を知るための実証主義とでは、もとより取り扱う内容が違うのだ。そもそも自然科学分野から離れて、今現在の現象を進化論に当てはめて応用しようとすると、社会進化論のようにロクなものにはならない。
実証主義からは進化論は生まれないし、進化論は実証できない。
実証主義は眼前に展開される事象しか取り扱うことができないないため、学術的な方法論としは自ずから限界がある。だがファーブルの実証主義に基づく行動研究は、学問としてよりも、むしろその観察態度に学ぶべきだ。調査対象への目のつけどころ、問題解決までの調査の進めかた、作業仮説と実験による確認など、さまざまな分野の実務に応用可能な示唆に富んでいる。
日本の霊長類学は、世界でもトップレベルの水準だが、その行動研究にはファーブルの実証主義に基づくものがあるのではないかと思う。いみじくも“反ダーウィニズム”として「棲み分け理論」を提唱した今西錦司が、ニホンザル研究で礎を築いた個体識別にょる行動研究により、後に日本の霊長類研究が飛躍的な発展を遂げたことは、ファーブルの実証主義に基づく観察態度が学問として成功を収めたケースといえないだろうか。
などととりとめのないことを考えていると、もうすぐバスの時間だから帰れと管理人が言う。いや俺は歩いてきたからと言うと、あきれた顔をされた。これからカルパントラスまで行くのだと伝えると、英語の分かる若い男が出てきて、クルマで送ってもらえることになった。
[ラフィーヌ財務総研・山蔦泰之]
(おまけ)
松田優作時代。今や見る影もなく、前川清と化している。