私は先日、八十代の母親と口論になり、初めて気づいたことがあります。

 

一つは、母親が私にいまだに自分の価値観のもと、娘に教えを与えようとしている事です。

どこかで聞いた事を、私にこんこんと語るのです。

 

娘の幸せを願っての行動だとは思いますが、五十代になった娘にする行為としては、さすがに違和感を感じてしまいます。

その違和感は、話を進めれば進めるほど、私に憤りを感じさせました。

 

そして、最後には「優しさが足りない。」と言う母親の一言。

 

その時は、母の体調が悪く車を三時間飛ばして真夜中に駆けつけた私への言葉とは、思えませんでした。

そして、その教えを母親自身は、「私はできないけど」と言い放つ行為は、許せませんでした。

 

珍しく怒りがこみ上げてきました。

私はこれまで、大人になってから母に怒りをぶつけた事がありませんでした。

 

「なぜ?こんなにも傷つくのか?」

そう考えた時に、もう一つの気づきが生まれました。

 

それは、私自身が、この年になっても母の期待に応えて母親の望む娘でいようと、もがいているという事実でした。

 

その時、私はなぜか、次女の言葉を思い出しました。

私と母親とのやり取りを見て、次女が「お姉ちゃんとお母さんみたい。」と、笑っていたシーンです。

 

このことは、ずっと気になり私の心に残っていました。

考えてみると…

私も長女に同じことをしていたのかも知れません。

 

それも自分が学んできた正当な教えを、強いろうとしていました。

間違いとは言えないのかもしれないけれど、正しいことであればあるほど、その教えに沿うことのできない長女は、自分を責めてしまっていたのかもしれない。

 

そう思うと涙がこぼれだします。

 

『自分ができない事を強いる。』

 

親が、子どもの幸せを思えばこそ多くを求めてしまう行為です。

私自身もそうでした。

 

今の私は、子どもたちの行為に一切反論しないように努めています。

 

子どもに教えを伝えるよりも、自分が素晴らしい教えだと思うことを、日々の生活で実行することに力を注ごうとしています。

なかなか難しい行で苦戦する日々ですが、その姿を見せることこそが子育てだと考えるようになりました。

 

そして、子ども傷ついた時に、その傷を癒せる力を持ちたいものです。

 

子育ては、大切にしている価値観を実行することにこそ、意味を見いだせるのだと考える日々です。

 

自分が、真面目過ぎることにもやっと気づき、少し休むことも私の課題の一つです。と…

また真面目なお話になりますが、楽しむことも忘れないようにします。

 

 

楽しい人生でなければ、後に続こうと思えませんからね。

 

 

今日はそんな気付きをご紹介させて頂きました。

「みなさんは、どうお考えでしょうか?」