人は時に、死にたいほど辛いことが訪れる。
時には命を絶つ人もいる。
しかし、命を絶たない人の方がほとんど。
命を絶たなかったとしても、その体験で心に傷が残る。
その傷は、劣等感として私をずっと裁き続ける。
その事で長年悩み苦しむ。
しかし、時を経てから、その事に正対する勇気が持てるならば‥
あの時、自分がどう対処しどう感じたが再体験できる。
もしも可能であれば、その出来事に一番関与した人とも向き合い、どのくらい苦しかったかを聞いてもらう。
自分の中の、怒りの底にある悲しみをできるだけ全部出す。
怒りの底の劣等感や苦しみと悲しみを、できるだけ全て出し尽くす…
すると、最後はその部分が空っぽになる。
その空虚が、更に、深い深い悲しみを生む。
ここを空虚にしておくのは、とても危険。
「では、どうするのか?」
思い出す!
あの出来事が起こった時、もしも最悪な事態だったとして、私が命を絶ったとして
あの時、自分の時間が失われていたならば…
あの時以後の出来事は、全て無くなってしまう。
あの時以来、私に訪れた全ての喜びは与えられなかった。
苦しかった時に助けてくれた人との出逢い
さりげない優しい一言
思いやりで包み込むような行為
共に流した感動の涙
なにげない会話の中から生まれる笑顔と笑い声…
そんな全てを失っていたはず。
その事に気づくと、空虚の中に、一つずつ一つずつ「ありがとう」が舞い降りる。
共に悲しんでくれた人への感謝
私の話しを聞いてくれた人への感謝
私を助けてくれようとした人への感謝
何も言わず見守り続けてくれた人への感謝
私に喜びや感動や慈しみを与えてくれた人への感謝
あの苦しい時に耐え続けてくれた、私自身への感謝
たくさんのたくさんの感謝が、わき起こって来る。
この感謝の気持ちで、空虚を埋めていくと、自然に無意識に劣等感が消えていく。
空虚の中が、暖かな感謝でいっぱいになり、喜びがわきおこる。
劣等感は喜びに変わる。
自分で、劣等感を喜びに変える。
「ありがとう」そう刻み込む。
そして
その出来事に一番関与した人と、全身全霊で向き合っても、自分の悲しみや苦悩は、他人には伝わらないことを知る。
傷ついた人にしか分からない痛みがある。
人は、自分が同じように傷つかないと、同じ痛みを感じることはできない。
その事を知り、他人の悲しみや苦しみが、やはり同じように自分にも計り知れないものだということがわかる。
すると、意見の対立や反論や反発・批判などする気もなくなる。
分からないから、反論・反発・批判はできない。
できる事は、深く想像し思いやることだけ。
話しを聞いて、その人になりきったつもりで五感を使い最大に想像力を膨らませることが
思いやり。
人は所詮、理解し合えないもの。
全てを理解しうることはできない。
しかし、思いやりを持つ事だけはできる。
その事がわかった。
ありがとう、あなた。
ありがとう 私に関わって下さった全ての方々。
そして「いつも助けてくれて、ありがとう 私」