とある講演会に行ってきたのだけれど、善い生き方なんて人それぞれだよなぁと。
まあ、本(たぶん「教養論ノート」)に影響を受けた私の自論としては、生き方なんて他人に押し付けられるものではなく、自分で作っていくものなんですよ。
つまるところ、完全に正しい生き方なんて人それぞれ。
他人が「こういう生き方は善い生き方ですよ」なんて指図したり、強要したり、教育したりすることは、基本的にはその人個人の生き方のためにならんのですよ。
他人に危害を加えるとか、そういうのはダメなんじゃないかと思いますが、それ以外なら、特段何かが正しいとか正しくないということはない。
まあ、私も「生き方」とかそういうことをよくこのブログで書いていますが。
結局のところ、自分が納得できる生き方ってなんなのかなぁという疑問なわけです。
なので、別に、絶対的に正しい生き方があるとかは思ってません。
とまあ、こんな感じなので、「善く生きるとはこういうことだ」みたいな話を聴くと、どうも首を縦に触れないのですよね。
結局、相手の考える生き方は、自分の生き方を考えて行く上での参考にはなるけれども、それに100%納得するというのは、ほとんどあり得ないことかと。
同じようなことで、自分の好みも、結局のところ自分で見つけるしかないのかなと思ってます。
自分が面白いと思えば面白いし、面白くないと思えば面白くない。
同じように、相手が面白いと思えばその人にとっては面白いのだろうし、面白くないと思っていなければその人にとっては面白くないのだろうなと。
ただ、結局のところ、それだけの話なのだろうなと。
自分が面白いと思ったものを他人が面白くないと思ったとしても、自分が面白くないと思ったものを他人が面白いと思ったとしても、どっちにしてもそれだけの話。
「そういう意見もあるんだなと」いう以上のものでなければ、それ以下でもない。
まあ、同じ意見なら「私もそう思う」と言うし、違う意見なら「私はそう思わない」ということを言うかもしれませんが、それは私個人の意見の表明でしかないです。
別に他人の意見がどうでもいいというわけではないです。
どっちにしても、共通の話題であれば、同じ意見であれ違う意見であれ会話はできますから。
自分が見えない視点に気付くというのも、私にとっては面白いですからね。
自分が見えない視点に気付くことで、自分の意見が変わる可能性もありますから。
私は、そんなに軸のない人間なので。
実生活で他の人の話を聴いていて思ったのだけれど、こういう考え方なのは、自分に自信がないからだと思う。
まあ、そうそう性格は変わらないと思うので、今後もこんな感じなんだろうなと思います。
それでいいのか悪いのかは、自分が死ぬときにでも思い返して、そのときに悦に浸るか後悔するかくらいしかないのだろうなと思います。