さて、まずは嵐から行ってみましょうか。
今や嵐は押しも押されぬスーパーアイドル、国民的人気者であるのは言うまでもありません。
しかし、その反面デビューから10年近くもなかなか人気が出ずに燻っていたのも、ファンには有名な話。
では何故嵐は人気が出るのにそこまで時間がかかったのか?
また、何故そこまで人気が出なかったのに今これほどまでにブレイクしているのか?
そこを探ってみるとしましょう。
まず嵐がデビューしたのは1999年。
遡ること17年前です。
デビュー会見はハワイで豪華に行い、スケスケ(笑)のド派手な衣装で決め、デビュー曲A.RA.SHIは若々しくキャッチーで耳に残る名曲でした。
一見順風満帆なデビュー…かと思われました。
しかし世間はジャニーズJr.黄金期と呼ばれていた時代。
嵐がデビューした影で、数多くのデビューを逃した人気者がいた訳です(デビュー選考はいつの時代も荒れますが、この時ほどファンの反発が強かったことはなかった)。
当時ダントツの人気と知名度を誇りデビュー当確と見られていた滝沢秀明、V6のデビュー時からデビュー候補筆頭だった小原裕貴、Jr.内ユニットMAINの中で唯一デビューを逃した生田斗真などのファンの反発は特に凄まじく、大論争が巻き起こりました。
(滝沢が外されたのにはそれなりの理由があった訳ですが、この件は後日考察することにしましょう)
こうして一見順調に見えて、実は逆風の中で嵐はデビューを果たした訳なんですね。
嵐のメンバーは大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤。
このうち、年下組(通称風組)三人に関しては、割とエリート街道まっしぐら、日陰知らずのデビューだったと言えるでしょう。
当時持ち前の愛くるしさから「スーパーアイドル相葉ちゃん」の異名を取り大人気だった相葉をはじめ、二宮松潤もそれぞれの固定ファンが多数存在する人気者でした。
が、問題は山組(大野、櫻井)の両名。
元々学業優先を公言していた櫻井と、実力はあるのにやる気がなかったため半ば干されていた大野は知名度が低く(特に大野の知名度は一般的にはほぼゼロに近かった)、滝沢を選ばずにこの二人を選ぶというのは、当時のファン、マスコミには理解し難いものがありました。
しかも大野、櫻井、二宮に関しては元々ジャニーズを辞めることを決断していた訳ですから、嵐の活動に積極的になれる訳もない。
ファンも納得しない、本人も納得しないという、最悪の形でのデビューとなってしまいました。
グループとしてのまとまりもない、人気もない、面白いこともあまり言えない…こんな惨状を見かねた事務所は、デビューからしばらく嵐をジャニーズJr.と一緒に活動させました。
前述したように、当時のジャニーズJr.の人気は凄まじく、今では考えられませんがJr.だけで冠番組を持っていた時代です。少しでも露出を増やして嵐の名前を売ろうという狙いがあったのでしょう。
しかしこれに対し今度は嵐ファンが憤慨します。
「せっかくデビューしたのに、なんで嵐がJr.のバーターみたいな扱いなの!?」と。
結局、この事務所の目論みは失敗に終わり、嵐ファンとJr.ファンの溝を深める結果となってしまいました。
そんな中、なかなか嵐の人気が上がってこない中で一人気を吐いたのが櫻井です。
元々嵐の中では最も正統派な男前であることに加え、当時からトークのスキルが高く、知的なところもある櫻井が嵐トップの人気になるまでにそれほど時間はかかりませんでした。
加えて彼は努力家で上昇思考が強く、おまけに負けず嫌いです。
そんな彼だからこそ、当時のメンバーに対しては非常に焦れったい思いがあったと思います。
そもそもやる気がない大野、二宮、上手く弄れる人がいないといつまでも黙っている相葉、やる気だけは人一倍あるものの、空回り気味の松本…
苦肉の策として「アイドル担当」「お笑い担当」などそれぞれ役割を決めたりしますが、松潤がお笑い担当だったことからもその迷走具合が窺えます。
事務所も新たな策として嵐に深夜番組の司会を任せたりもしますが、当時人気も実力もバッチリのKinKi Kids、TOKIO、V6も深夜番組をやっており、比べてしまうとどうしても嵐のトークスキルのなさが目に付きました。
そんな中、松潤が急に「キャラ変」をしたことで、ますます嵐ファンは面食らう結果となります。
(~ブレイク直前編~に続く)
今や嵐は押しも押されぬスーパーアイドル、国民的人気者であるのは言うまでもありません。
しかし、その反面デビューから10年近くもなかなか人気が出ずに燻っていたのも、ファンには有名な話。
では何故嵐は人気が出るのにそこまで時間がかかったのか?
また、何故そこまで人気が出なかったのに今これほどまでにブレイクしているのか?
そこを探ってみるとしましょう。
まず嵐がデビューしたのは1999年。
遡ること17年前です。
デビュー会見はハワイで豪華に行い、スケスケ(笑)のド派手な衣装で決め、デビュー曲A.RA.SHIは若々しくキャッチーで耳に残る名曲でした。
一見順風満帆なデビュー…かと思われました。
しかし世間はジャニーズJr.黄金期と呼ばれていた時代。
嵐がデビューした影で、数多くのデビューを逃した人気者がいた訳です(デビュー選考はいつの時代も荒れますが、この時ほどファンの反発が強かったことはなかった)。
当時ダントツの人気と知名度を誇りデビュー当確と見られていた滝沢秀明、V6のデビュー時からデビュー候補筆頭だった小原裕貴、Jr.内ユニットMAINの中で唯一デビューを逃した生田斗真などのファンの反発は特に凄まじく、大論争が巻き起こりました。
(滝沢が外されたのにはそれなりの理由があった訳ですが、この件は後日考察することにしましょう)
こうして一見順調に見えて、実は逆風の中で嵐はデビューを果たした訳なんですね。
嵐のメンバーは大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤。
このうち、年下組(通称風組)三人に関しては、割とエリート街道まっしぐら、日陰知らずのデビューだったと言えるでしょう。
当時持ち前の愛くるしさから「スーパーアイドル相葉ちゃん」の異名を取り大人気だった相葉をはじめ、二宮松潤もそれぞれの固定ファンが多数存在する人気者でした。
が、問題は山組(大野、櫻井)の両名。
元々学業優先を公言していた櫻井と、実力はあるのにやる気がなかったため半ば干されていた大野は知名度が低く(特に大野の知名度は一般的にはほぼゼロに近かった)、滝沢を選ばずにこの二人を選ぶというのは、当時のファン、マスコミには理解し難いものがありました。
しかも大野、櫻井、二宮に関しては元々ジャニーズを辞めることを決断していた訳ですから、嵐の活動に積極的になれる訳もない。
ファンも納得しない、本人も納得しないという、最悪の形でのデビューとなってしまいました。
グループとしてのまとまりもない、人気もない、面白いこともあまり言えない…こんな惨状を見かねた事務所は、デビューからしばらく嵐をジャニーズJr.と一緒に活動させました。
前述したように、当時のジャニーズJr.の人気は凄まじく、今では考えられませんがJr.だけで冠番組を持っていた時代です。少しでも露出を増やして嵐の名前を売ろうという狙いがあったのでしょう。
しかしこれに対し今度は嵐ファンが憤慨します。
「せっかくデビューしたのに、なんで嵐がJr.のバーターみたいな扱いなの!?」と。
結局、この事務所の目論みは失敗に終わり、嵐ファンとJr.ファンの溝を深める結果となってしまいました。
そんな中、なかなか嵐の人気が上がってこない中で一人気を吐いたのが櫻井です。
元々嵐の中では最も正統派な男前であることに加え、当時からトークのスキルが高く、知的なところもある櫻井が嵐トップの人気になるまでにそれほど時間はかかりませんでした。
加えて彼は努力家で上昇思考が強く、おまけに負けず嫌いです。
そんな彼だからこそ、当時のメンバーに対しては非常に焦れったい思いがあったと思います。
そもそもやる気がない大野、二宮、上手く弄れる人がいないといつまでも黙っている相葉、やる気だけは人一倍あるものの、空回り気味の松本…
苦肉の策として「アイドル担当」「お笑い担当」などそれぞれ役割を決めたりしますが、松潤がお笑い担当だったことからもその迷走具合が窺えます。
事務所も新たな策として嵐に深夜番組の司会を任せたりもしますが、当時人気も実力もバッチリのKinKi Kids、TOKIO、V6も深夜番組をやっており、比べてしまうとどうしても嵐のトークスキルのなさが目に付きました。
そんな中、松潤が急に「キャラ変」をしたことで、ますます嵐ファンは面食らう結果となります。
(~ブレイク直前編~に続く)