共有する
「事実を確認し」、「見解を持つ」次のステップは、これらの情報を適切な教員間で「共有する」ことです。
これを怠ると、生徒や保護者、または教員間で不信感を招く恐れがあります。
共有すべき内容は以下の通りです。
・今後の指導方針
これらを教員間で共有する必要がある理由は、以下の通りです。
<確認した事実>
発生した事案について詳細を知らない教員に、「確認した事実」を共有します。
生徒への聞き取りが終わった段階で、教員間で正式に情報を共有することが重要です。
そうしないと、情報がない教員は「何かあったの?」と自分で情報を集める必要が出てきます。
または、「自分には関係ないのか…」と卑屈に受け取る教員が出てくる可能性もあります。
生活指導は特定の教員だけが行うものではなく、程度の差はあれど教員全員が関わるべきものです。
各教員に自分事ととらえてもらうために、正式に情報を「共有する」のです。
<学校としての見解>
~教員間の不信を招かないように~
次に学校としての見解を教員間で共有します。
どのような事案であっても、教員による受け止め方は一人ひとり異なります。
暴力が絡む同じ事案でも、「その程度なら大したことない」と捉える人もいれば、「ひどすぎる!」と怒りを感じる人もいます。それは人それぞれの感性の違いによるものです。
このように、人によって見解が異なるのは当然のことだからこそ、学校としての見解について意見交換ができる場を設けることが非常に重要です。
これを疎かにすると、指導や家庭連絡が終わった後で、「そもそもこの件は暴力事件として扱うべきではないですか?学校の対応が軽すぎませんか!」と意見する教員が出てくる可能性があります。
すべてが終わった後にこんな意見が出てくるようでは、もう手遅れです。教員間で生活指導への不信感につながる事態に発展しかねません。
よって、生徒への指導に入る前に「学校としての見解」について教員間で共有し、意見交換ができる場を設けるのです。
~生徒、保護者からの不信を招かないように~
教員間で学校としての見解を共有することは、一貫した指導を実現するためにも重要です。
もしも、生徒に対して教員が異なる見解で指導を行うと、指導の一貫性が失われることになります。
例えば、ある教員が「手を出すのはやりすぎだな」と軽く指導する一方で、別の教員が「暴力は人として許されない。これは重大ないじめだ!」と強く指導するようでは、学校としての指導に一貫性がありません。
最終的に、被害側と加害側の生徒や保護者から「学校はこの事案をどう考えているのか」と疑問を抱かれ、不信感を招く結果となる可能性が高いでしょう。
これでは事案を適切に処理するどころか、学校への信頼を失墜させることになり、生活指導の失敗として「最悪の事態」となってしまいます。
今後の指導方針