「〇〇ちゃんは、道端で地雷を見つけた。
大人に知らせようと地雷を抱え走っている時につまずき、転んだ瞬間、、地雷が爆発。
一命は取り留めたもの、目覚めた時には、脚を失っていた。」
これは、わたしが子どもの頃、初めて地雷というものを知った本に書いてあったこと。
ジャーナリストさんが作られた本なのか、写真がどのページにもあり、カンボジアの地雷、子ども、国の様子について書いてあった。
たぶん、それが世界の子どもたちに興味をもつきっかけとなったと思う。
TVでは世界の子どもたちの生活を追うドキュメンタリーを真剣に見ていた。
ハンバーガーを食べたことがない子ども。
スタッフが白い画用紙とクレヨンを渡し「絵を書いて」とお願いすると、、大きな画用紙の隅に、黒で1匹の小さなハエを描いた子ども。
他にもたくさん、どれも印象的だった。
ある日、青年海外協力隊の本を見つけた。とても持ち帰れない分厚い本が分野ごとに何冊もあった。募集年齢に達していないこと、そして、なにか専門知識がないと現地の役に立てないと感じた。
「まだわたしには誰かの役に立てる力がない。」
そう思った学校の図書室の光景が目に浮かぶ。
わたしの心の中には自分の無力さとそれに対する無念がずっとあった。
今回は、その時の無念がやっと成仏されたように感じることができたことについて書き記しておきたい。
それは、ユニセフとしてご尽力された方を学校にお招きして、子どもたちに、SDGs、国際協力、ユニセフについてお話いただき、世界の現実と日本の役割について考えを広げる機会をつくったことだ。
わたしは、その方と子どもを繋げることができた。つまり、目の前の子どもが世界の様々な状況の子どもたちに心を寄せる瞬間がつくれたことでもある。
わたしは、現地の子どもたちに直接施しをすることはできていない。
しかし、目の前の子どもたちが現地の子どもたちに少しでも関心をもったり、心を寄せる瞬間をつくれたことは、間接的に現地の子どものためになると思っている。
また、世界の現実を知ることで、
安全で平和な日本に生まれたこと、インフラが整い毎日学校に行く日常、スーパーにはいつでも何でも揃って不自由しないこと、、、
それが当たり前で贅沢と感じていないこと。
その幸せに気付き、幸せをより一層噛み締め、その立場である自分の可能性、チャンスを感じてほしかった。
目の前の子どもたちには、可能性、チャンスを感じて、夢に向かって生きてほしい。
わたしが教師をやっている意味をやっと感じられた。
教育って国をつくる上でとても大切なもの。
一つの国だけ豊かになろうと思ってもできない。一つの国の成長には、周りの国の成長が必要。
それを教えることも教育。
目の前の子どもたちに、世界に目を向けてもらう機会がつくれたこと。
それは、あの時の無念さを成仏させることができた気がする瞬間だった。教師という立場で、現地の子どもたちのために活動できた瞬間だったから。