「一人の自閉症を知っているということは、たった一人の自閉症しか知らないということだ」
これは自閉症の当事者であって「我自閉症に生まれて」の著書や締め付け機で有名なアメリカの科
学者テンプル・グランディンの言葉である。私たちは自閉症の子どもに出会うと、よくこの子の特性は以前出会った子に似ている、だからこの構造化がいいはずだ、とその子の子どものオリジナルな特性をとことん追求せず、安易に決めつけてしまうことがある。それぞれの子どもはある部分では似た特性があるにしろ、一人ひとり本当に違うということを忘れてしまっている。その一つの理由は長い間自閉症支援にかかわってきた経験によるもの。この子は以前担当したAさんに似ているからAさん同様難しい課題にもどんどん挑戦させよう・・・・あるいは、この子はBさんのように字が読めるからBさんと同じように文字のスケジュールを使おう・・・とか。多くの経験が邪魔をして今出会った子どもの特性を客観的につかむことができなくなってしまう。
二つ目は自閉症の子どもの保護者が支援者の場合。自分の子育ての失敗と成功が強くインプットされていて、機能レベルや行動がわが子と似ている場合、その子とわが子のケースをオーバーラップして、わが子の子育て経験を前面に出してしまうという場合もある。
そんな時このテンプル・グランディンの言葉「一人の自閉症を知っているということは、たった一人の自閉症しか知らないということだ」が胸に刺さってくる。自閉症支援のプロである私たちは、自閉症支援に携わる誰もが、経験を積めば積むほど、自分たちの仕事はその時出会う一人ひとりの子どものオリジナルな自閉症を知ろうと努力し続けること、と肝に銘じるべきであろう。