こんばんわ
ブログを通して
看護の喜びを伝えたい
自分の中の看護の本質を振り返る
看護師の職場の現状は、きついことが多いかもしれないが、色々な職場事情や葛藤がある中で、
見失いたくないもの・・患者さまに寄り添い、患者さまが本当に求めていることに、私たちは、応えているだろうか、ということを。心の通う看護とは・・を求めて
nurseがナースであるために
愛する道へ行くために
今夜は
✨忘れられない患者さまから✨ 2投稿め
前回、私がまだ卒業したての21歳の頃に、初めて受け持ちとなった癌終末期の患者さまから投げかけられた「・・何をしてもらっても、もう僕は助からないんだろう・・」という場面から、お話ししました。
あの当時は、まだ癌の告知は一般的ではなく、タブーだった時代。私が入職する少し前に、回診で医師がベッドの足元にカルテを置き忘れ、ドイツ語を教えていた患者さまは、カルテを読んで全てを知った経緯があった。それまで癌を隠していただけに、不信感もあっただろう。何となく医師やナースの医療者側も真正面から向き合い辛い空気を感じているように見えた。新人のわたしは、その距離感が、なお患者さまを孤独にしてしまっているように感じていた。まだ30代後半の若さで、自分の余命を カルテから自分で知った時の落胆は計り知れない。
しかし、まだ仕事を覚え始めたばかりの自分。何をさせて頂いたらいいのか、何を話せばいいのか、どれだけ食べれましたかという質問ですら、
これだけしか食べれなくなったんだと思わせてしまいそうで、聞けなかった。
わたしは、病室を何度となく訪れては、聞かなくてもいいようにお膳を下げたり、掛け物を直したり、少し暑くないですかと換気をしたり、呼吸の状態を診ては、頭を少し上げてみましょうかと、させて頂いていいか声かけながらそばにいる時間をもった。
いつでも呼んで下さい・・と言おうとしたが、ナースコールするときはいつも、妹さんから疼痛増強時であり、痛みが治まっている今は、それを思い出させたくない。「呼んで下さい」は、言えなかった。
初めて病室に挨拶したときの「・・何をしてもらっても、僕は助からないんだろう・・」と言った言葉が頭に浮かび、患者さまのその虚しさ、悲しさ、苦しさは、何をもってうめられるだろう・・
わたしは、その答えは解らないまま、言葉を失い、ただその心のそばにいたいというだけで、ナースコールをまた、そっと手のひらに包むように手渡して、患者さまに微笑んだ。
患者さまは、ちらっと視線を合わせて、初めて、うなづき、苦笑しながらもナースコールを握り返してくれるようになった。
痛み止めの注射以外のことで、ご自分からナースコールすることがない患者さま。
生きている今をナースコールは、痛み以外のコールに使ってもらえるようになるだろうか
次回、書きたいと思います
看護とは呼べない未熟さの中で関わった新人のわたしは、この患者さまから後に、何度となく思いおこすたびに、重要なことを学び続けることになります。
次回は、伝えしたいと思います。
看護は、患者さまとの関係の上で成り立つ。
専門職として看護を提供させて頂くためには、真に学び続け、どんなに周りが看護への価値観を保ちにくい環境や共有しにくい状況であっても、自分の患者さまへの思いは、日々の患者さまとの関わりの中で、しっかりと看護に実践していかなければならない。そして看護は、誰が関わっても、継続されなければならない。
今、働きにくさを感じているナースがいるならば、共に、真に患者さまを人として大切にするということは、どうすることなのかを仲間と共有できる力を持てるよう応援したい。
文字ばかりの慣れないブログ、お読み頂いてありがとうございます
