メンタル中学生日記。

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カルーアリキュールを買ったので、


毎日のようにカルーアミルクを飲んでいたら、


さすがに飽きてきました。


(しかも、コーヒーって入ってないんだね・・・)




さて。


「思春期」というものは往々にして、


瑞々しい


だとか


多感な時期


と表現されるように印象付けられる。


それらの表現は、


恐らく私が思春期を迎える前から出会っていたし、


思春期の最中も、その言葉は頭の中にあった。


そして疑問だった。


「私は今、多感なのか?」、と。


思春期を迎えれば、


いつもは気にならないことが気になったり、


感性が豊かに、


もしくは


鋭くなったりするのかと思っていた。


でも思春期の中にいる人間としては、


そんなことちっとも感じることができなかった。


いつもは感じられない「何か」を


感じることができるのかと思った。


ここでいう「いつも」というのは、


思春期以外のことを指すわけだけど、


私にとっては思春期も、


生まれてきたときからの


延長線上にあるので、


「いつも」と呼ぶ。


でも、今になって思うのだ。


たしかにあのとき、私は多感だった。


毎日が苦しくて、少しのことで傷ついていた。


過敏だった。


しかしそれは失われた。


失われた過敏性。


私は小学生の頃からOCD(強迫神経症)を患っていた。


誰にそう言われたのでもない。


自分で、「自分は病気だ」とわかっていた。


今は医者にかかっている。


中学校に入ってすぐ、


私は人間関係に悩むようになった。


そして、クラスメイトが怖くなった。


嫌われることを恐れ、


つまらない話に笑い、


行きたくもないのに他人のトイレについて行った。


いつしか私は、


曇天の中を生きるようになった。


中学の印象は、嘘偽りなく、曇り空だ。


無性に憂鬱で、


意味もなく泣きたくなった。


助けてほしいのに、誰も助けてくれなかった。


何から助けてほしいのかというと、


あのまだるっこい憂鬱の泥の沼からだ。


頭は常に愚鈍で、


見えないベールを覆っているかのようだった。


ちょうど中学2年のとき、


家にインターネットが繋がるようになった。


私はまさに字のごとく、


瞬く間に夢中になった。


今では信じられないが、


当時は毎日3時間やっていた。


しかも、まだ時間無制限が無い時代である。


嫌な子供である・・・。


知りたいことを瞬時に知ることができ、


顔の知らない人とコミュニケーションを楽しむ。


毎日は死にたいくらい憂鬱であったが、


インターネットという楽しみもあった。


友人と毎日のようにインターネットのサイトの話をし、


メールを楽しんだ。


今はもう、その感覚はない。


毎日3時間、夢中でパソコンの前に張り付くことも、


歩道橋から飛び降りる妄想をすることも、


ほとんどなくなった。


単に、慣れてしまったのかもしれない。


情報に、世の中に、感情に、感覚に。


それでもなお、


当時何度も繰り返し想像した、


死のイメージや、


涙をこらえながら席に座っている様子は、


鮮明に思い浮かぶことができる。


当時の敏感さを他のことに活かしていたのなら、


人によってはビッグになれるだろう。


今もう一度、その多感さを取り戻すとしたら、


私は恐怖に慄く。


でも、あの多感さがなければ、


得られない感覚や、到達できない場所があるだろうことは、


容易に想像がつくのである。