私、HSCの子を育てています

私、HSCの子を育てています

ひといちばい敏感な子を持つママの日々の出来事、苦悩や葛藤の記録です。


こんにちは、ニコルです。

HSCの思春期娘を育てています。

 

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最近、もっぱら学びにハマっている。

 

 

今日、目にした「成長サイクル」。

 

 

帝王学というらしく

 

自分が何になりたいか、何を学びたいか言葉にする【伝達本能】

  ダウン

「そんな思いがあるならやってみたら」というチャンスを得る【引用本能】

   ダウン

「与えられたチャンス」に挑戦する【攻撃本能】

  ダウン

挑戦したからこそ、足りない部分に気づき、もっと勉強をしたくなる【習得本能】

  ダウン

知識を得て自信がつく【守備本能】

 

 

陰陽五行を使って

このサイクルを回すことで成長に繋がるというもの。

 

 

 

確かにそうだわ〜。

無意識に生きていると、つい忘れがち。

 

 

こんなことを子どもの頃に知りたかった。

 

 

 

 

子どもを不登校にして感じた”自分の未熟さ”に気づいてから

子どもの心、体、脳の成長発達について学んだ。

そして「人間とは何か?」「親としての在り方」を知った。

 

 

自分の幼少期の満たされなかったトラウマを知って

そのトラウマは子育てで繰り返されることを知る。

 

どうりで娘の言動がそっくりな訳だ。

 

 

娘を通して表面化した

夫や私が受け継いできた「育ち」と生きづらさ。

この課題を娘に背負わせ、後世に受け継いでいくのか

私と夫の代で断ち切ることにするのか・・・

 

その答えは明確だ。

 

 

 

 

 

今朝、夢を見た。

知らないおじさん、母、私、娘、犬が乗り物に乗っていた。

4人で向かい合って座りながら、私は母に「私は断ち切ることにした」と宣言した。

でも母は表情をゆがめ、苦痛そうにしていた。

私は母の表情に動揺しながらも、私の決心を強め、娘にもその決心を告げる。

 

何も母との縁を断ち切るのではない、

父母から受け継いだ苦しい子育てを断ち切るのだと夢の中で強く思った。

嬉しそうにしていていたおじさんは誰だったのか、謎だが。

 

そんな夢だった。

 

 

夢は心理状態や無意識の感情を反映したものというけれど

潜在的な思考や感情が見せたものだったんだろうか。

 

 

 

 

私が得た知識を使って、同じように苦しい誰かを助けたいと思っている。

なぜなら、私がずっと知りたかった家族の在り方についての答えにたどり着けたからだ。

 

なぜ色んな家族があるのか、

なぜ無責任な子育て繰り返すのか

なぜ大人になっても成熟できないのか

無力な子ども達が背負わなくてはいけない運命を断ち切れないのか

 

何処から手を付けるべきか分からない。

けれど、ぼんやりと次なる目標も見えてきた。

そして、また新たな学びに挑戦中だ。

 

 

知識を得たら、やりたいことが見え始め

やりたいことを意思表示したら、チャンスが巡ってきた。

 

 

まさに守備本能から伝達本能へのサイクルを体験中。

 

チャンスを掴んで波に乗ろう!

 

 

 

同時に越えなければいけない壁

私にとって高く見えている壁

 

 

でも、その壁は最初からなかったんじゃないか?説を実証したい。

 

 

 

 

 

こんにちは、ニコルです。

HSCの子どもを育てています。

 

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久しぶりにアメブロを見つけて

ログインしてみたら

 

残ってた〜!

 

ちょっとびっくりびっくり

 

そしてあの頃に始まっていた娘の不登校は今も続いている。

なんと3年目。

 

正直、こんなに長引くとは・・・ネガティブ

 

 

 

でも、私の心の中はもうあの頃とは違っている。

ちょっとは成長している昇天

 

娘は今も不登校だけど

動きのない日々の中でも心の中は変化していて、

そこに気がつくことが出来る私になった。

だから、時が来たら動き出すと信じている。

 

 

もちろん、不安や心配はあるけれど

「親なんだから当然だよねー」

と、自分に共感できるくらいの余白ができたことも大きい。

 

この一年、一緒に学んで来た仲間

そこに気づかせてくれた方々に感謝だ愛

 

 

あの頃は「HSC」が問題だと思っていたけれど

それも、本当かどうか今は分からない。

 

そして、もはやどうでもいい。

 

 

発達の凸凹とか、生きづらさとか

いろんな言い方はあるけれど

結局のところ「私が好き」と

思える人生の方がいいと思うし、最強だと思えるから。

 

 

カテゴリなんて本当はどうでもよくて、

結局はどう生きるのか、どう在りたいのか。

その方が生きていくうえでは、

ずっとずっと大事だったということに気がついた。

 

あの頃の私は、

自分のコントロールが及ばないことに

得体の知れなさを感じて

何かしらの意味づけをしたり

誰かのせいにしなければ

理解が出来なかったのだ。

 

薄々分かっていたけれど

正しく認知するのが怖かったんだなと思う。

 

「結局、私だったんだ〜」ってことに。

 

 

数か月前、ようやくACであることに気がついた。

こんな私だから、自分の生きづらさも自覚できていなかった。

だから当然、認知が歪んでいる事にも気づくことができなかった。

そこに気づけたのは大きな収穫だったと思う。

 

 

今は、自分が成長することに興味津々の私。

私には自分の人生を自分らしく生きる権利がある。

失った十数年をやり直そうとしている。

 

考えるより動け!

心がそう言っている。

 

 

「何もない」と感じてきた私は

何かを持っていなければ価値がないと思い

怖くて動けなかった。

でもそれは卑怯だった。

 

怖くてもやる

やらなければ怖いかどうかも分からない

 

 

取りあえず、やってみる

やろうと思うこと

会いたいと思う人に

行きたいと思う場所へ

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、ニコルです。

学校生活について書こうと思います。

 

  *****

 

娘は10歳。

小学校4年生です。

 

 

けれど、1人で外を歩くことを極端に怖がります。

 

 

だから学校や習い事など、娘の送迎は私の日課です。

 

 

娘は幼少の頃から、

たとえ目の前に玩具やお菓子が広がっていようと、

私の手を離れようとした事は1度もありません。

 

10歳になった今もしっかりと手を繋ぎ

そうしないと安心できないようです・・・

 

 

 

娘の学校は普通の公立高小学校です。

距離は徒歩で10分弱。

昨年の春までは、朝は集団登校だったのですが、

コロナ禍で集団登校は中止となったため、登下校の送迎が必須です。

 

 

私達家族が居住している場所は都内でも大変治安が良く、

子供の安全面に配慮し、通学路には必ずスクールガードさんがいてくれるとても手厚い学校です。

 

 

けれど、娘にはそんな事は関係ありません。

 

 

 

 

何度か娘に「何がそんなに怖いのか?」聞いたことがあります。

 

 

 

娘は言いました。

 

「車の音も怖いし、友達がふざけてぶつかってくることも怖い」

 

「全身黒ずくめの人や、マスクやサングラスをしている人を見ると怖くなる」

 

と。

 

 

生活で普通に耳にする音や、

当然あるであろうシチュエーションそのものが、感覚的に怖いと言うのです。

 

 

それでも「慣れてしまえばできるもの」と軽くみていた私は、

お迎えの場所を徐々に家の方へ近づけて、

1人歩きの距離を伸ばしてみようと試みたりしました。

 

けれど娘の不安を煽るだけで、あまり良い結果には未だ行きついていません。

 

 

 

なぜなら、日々思いもよらない事が起こるからです。

 

 

例えば、こんな事がありました。

 

 

娘の帰宅時間に合わせてオヤツを買いに出かけたのですが、

スーパーでレジ列に並んでいると、知らない番号からの着信が。

電話に出てみると、交番のお巡りさんでした。

 

「娘さんがマンションの前で泣いていたので声を掛けました」

「お母さんがいないと言うので、番号を聞いて電話をしました」と。

 

たまたま通りかかったお巡りさんが、泣いている娘に気づいて声をかけてくれたそうですが、

そもそもの原因は、学校から配布されたお便りの下校時間の記載ミス。

 

 

その事で、振出しに戻ってしまうのでした。

 

 

 

またある時は、学校で安全指導の一貫で、

 

「不審者に注意してください」

 

などと、声掛けがあった場合です。

 

 

そうなると、娘の恐怖はピークに達してしまいます。

 

 

号泣しながら帰路につくのです・・・

 

 

 

  *****

 

娘にどんなに安心できる環境なのかを説明しても、

娘には母親の私が1番安全としか思えないようです。

 

それはそれで嬉しいのですが、将来が心配になってしまいます。

 

 

4年も送迎していると、さずがに言う人は少なくなってきますが、

 

「どうして〇〇ちゃんのお母さんは毎日待ってるの?」

と、娘の友達に聞かれたり、

 

「甘やかし過ぎなんじゃない?

いい加減にお母さんが子離れしないと、子供が成長しないよ。」

 

などと、事情を知らない人から声をかけられたりします。

 

 

その度に、いちいち説明するのも面倒な気持ちと、

胸が押しつぶされるような気持になります。

 

 

なんで、うちの子ばかり

みんなと同じ事ができないのだろう・・・・

 

 

 

ありのままのわが子を受け止めたいのに、時にそれは苛立ちとなってしまう事も。

 

 

 

そろそろ反抗期も始りだした娘。

今はまだ想像もできないけれど、いつか1人で歩く日がくるのだろうか・・・