永遠の0のモデルとなった パイロット
彼は太平洋戦争中に特攻で亡くなった 富安中尉、映画「永遠の0」のモデルになった 搭乗員と言われています。彼は昭和20年5月14日に米空母エンタープライズに突入し戦死されました享年23歳。富安さんは、1922年、長崎県の生まれ。早稲田大学政経学部に入学。スポーツに長け、音楽を愛した好青年。在学中は柔道部に在籍する傍ら、ハーモニカのバンドを結成し、コンサートを行うほどであったとも。彼の突入は米軍からKAMIKAZE(神風)’とは呼ばれず ‘DIVINE WIND(神聖な風)’ として尊敬を集めたようですそして米軍から「日本海軍が3年間でできなかったことを一瞬にしてやり遂げた男」と称えられました。この日、出撃した26機中19機が 敵艦に辿り着く前に撃墜され 6機が対空砲火で突入前に 撃墜されました富安機は単機で雲に隠れながら 米軍の攻撃を避け エンタープライズが隙を見せた瞬間に 単機突入したというのですこの写真は富安機が突入した時の 写真通常特攻は斜めに急降下しながら 突入するが、一番効果的なのは 直角に艦に当たる事、富安機は斜めに突入するかと思いきや横滑りを駆使してエンタープライズの横っ腹に突っ込むかと思われた時、機体を一気に引き起こし、艦の真上へ上昇し旋回して背面飛行のまま突入。 艦の直上から空母最大の弱点である 前部エレベーター部分に ピンポイントで体当たしました。爆弾は飛行甲板を突き抜け,そこから 50フィートも奥(3階下のフロア)の船の深部に達して爆発した。エレベーターは破壊され(飛行機を載せて上下する板状の台)は400フィート(130メートル)の上空まで吹き上げられた。格納甲板の前部とエレベーター 室に火災が発生した。火災は短時間、約30分で鎮火 物的大損害としては人的損害は13名が戦死し,68名が負傷した。エンタープライズは大修理のため,終戦に間に合わないほどの損傷を受け太平洋戦争末期の米軍の作戦に大きな影響を及ぼした。 米軍の あるパイロットは,この日の戦闘状況をつぶさに書いているが,この零戦は護衛の戦闘機や弾幕にやられそうになると雲の中に隠れ,時々雲から顔を出してエンタープライズの位置を確認し,すぐそばまで近づいてからダイブ(急降下)を始めた。高速,機首上げ でオーバーシュートしそうになると背面飛行を行って修正し,母艦の最も弱点とするエレベーターめがけて突入している。この零戦の類まれなる計画性と巧妙精緻な技術は米軍に特別な尊敬の念と大きな感動を抱かせたともいえます。突入のあった5 月14日夕刻,エンタープライズでは,特攻機の突入によって戦死した13名の乗組員を星条旗で包んで水葬にしたあと,特攻隊 員も艦尾から水葬にしたそうです。その際遺体の飛行服の階級章から海軍中尉であることが判り,ポケットに入っていた複数の名刺から,日系二世の通訳がtomi-zaiと判読したそうです。エンタープライズの乗組員ノーマンさんが、突入した零戦の破片とプロペラの一部を所持していました。 ノーマンさんは長い間、日本やカミカゼに対して良い感情を持っていませんでした。それは,氏の同僚3名が戦死したからです。それでも節目の50年目に帰って来ました父上様母上様突然,某方面に出撃を命ぜられ,只今より出発します。もとよりお国に捧げた身体故,生還を期しません。必ず立派な戦果を挙げる覚悟です。御国の興廃存亡は今日只今にあります。吾々は御国の防人として出て行くのです。私が居らなくなったら淋しいかも知れませんが,大いに張切って元気で暮らしてください。心配なのは皆様が力を落とすことです。海軍に入る時に,当然死を覚悟していたのですから,皆様も淋しがることはないと思います。秀雄には便りを出す予定ですが,家からもよく言ってやって下さい。近藤中尉が訪ねていく予定故,会ってやって下さい,では大いに頑張りますから,その点御安心下さい。 俊助- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be当時の映像を見ればいかに凄まじい作戦だったかわかります『日本ニュース』第232號 / 神風特別攻擊隊󠄁 第一號 敷島隊の五人