主治医の先生から話を聞いて“母子感染でB型肝炎ウィルスキャリア”という事を理解できた私。
数日後、当時の彼氏で今の旦那が面会に来てくれた。
入院当初から家族以外の面会を拒否していた私。
なぜなら、顔から眼球からマジで黄色かったから。
毎日、鏡で顔を見るたびに溜息でるレベル。
入院からしばらくして、今の旦那のみ面会を了解した。
旦那と話をして、旦那が“B型肝炎ウィルスキャリア”と言われた時の時系列が分かった。
旦那も辛かったよなってホント思ったよ。
当時は結婚を前提に付き合っていたから、旦那の両親へのご挨拶は済ませていた。
だから、旦那は私の症状を両親に話してくれた。
その日は、私の症状を報告するだけで終わったんだって。
でも次の日、実家から車で2時間ほどかかる旦那の家に両親が来て頭を下げて謝ったんだって。
「ごめん、本当にごめんなさい…」
旦那のおかんが最初に言った言葉だったって。
国の肝炎対策
日本では、1972年から輸血・血液製剤用血液のB型肝炎スクリーニングが開始された。1986年から母子感染防止事業が実施され、垂直感染によるHBV無症候性キャリアの発生は減少した。
旦那の生年月日は1980年。母子感染防止事業実施前だった。
旦那の妹の生年月日は1982年。
旦那の弟の生年月日は1986年。ちょうど母子感染防止事業がスタートした時だった。
1986年に旦那のおかんは、自分がB型肝炎ウィルスキャリアだとわかったんだって。
次の日、旦那は肝炎検査を受けたという流れ。
もうね、これってさ、誰が悪いとかじゃないんだよね…
確かに私死にそうになったから、誰かを責めたいところだけど…
「ひどい!」とか「ちゃんと子供につたえなきゃダメじゃん!」とかって思わなかったんだなぁ…
なんかさ、旦那のおかんもずっとずっと気にはなっていて、でも言えなくてみたいなのが、もう何十年もあったんだろうなとか考えてさ…
突然言われた旦那も、ホントに苦しかっただろうし…
旦那は最後にこう言った。
「○○、本当にごめんね。ごめんなさい。」
旦那は少し泣いていた。
複雑な気持ち。
誰かが悪いのか?誰も悪くないのか?
顔から眼球から黄色い私の目からも涙がこぼれた。