~バイク遍歴 3 ~
YAMAHA TZR250 にまつわる話 2
この所有2代目となるTZR250では、ほんとに色々な思い出が有りすぎて・・・
結果として何を語れば良いのかわからない位です。
当時私は、大阪を引き払って横浜に引っ越すことが決まっていました。
荷物のほとんどない独身ですので、横浜でまた生活用品は揃えるためバッグ一つを荷台に括り付けての引っ越しです。
横浜に向けて大阪を後に走り出したわけですが、せっかく数日次の仕事が始まるまで休みが有るわけで・・・
こんな自由な時間はそうそうないと考える内、このままただ横浜に走るだけじゃ~勿体ない!
そう思うや否やUターンして南に陀を切ったのです。
ま~今もあまり変わりませんが、このころも思い立ったらやらないと気が済まない、なんとも面倒臭い性格でした(笑)。
じゃ~どこに向かったのか?
それは彼女が住む長崎県、しかも離島の五島列島に向かったのです。
その彼女が今の奥さんなんですけど・・・
その当時の記憶では確か片道700km~1000㎞位走ったと記憶してます。
当然直線距離では無いため、くねくね走っての実走行距離です。
当たり前と言えば当たり前ですが、そこからま~いろいろとすったもんだ有りました。
最初の試練はプラグがかぶって片肺走行になってしまったことです。
運悪く大雨になり高速道路のトンネル内に退避、復活を試みるも改善せずまた走り出しては止まりの繰り返しです。
プラグが被った原因は2ST2気筒の場合同じ速度で長距離を走り続けるとなりやすいですね。
峠等の様にアクセル開閉が適度に有ると、ガバッとアクセル開けれるんでかぶりにくいんですけど・・・
ま~ただ単にプラグの番手がミス・セッティングだったって話かもしれませんが(笑)。
そんなこんなで宿も何も決めてない弾丸無鉄砲発進でしたから、当然夜中に寝る場所も無い訳です。
走りもままならないんで、給油がてら休憩若しくはベンチで仮眠するつもりで途中のサービスエリアに滑り込みました。
給油に寄ったスタンドでふと見ると、端っこに如何にも触りまくったやんちゃなバイクが有りました。
っで、出てきたお兄ちゃん二人はいかにも出来の悪そうな(ゴメン)風貌!?
ピント閃いた私は、彼らに相談することにしたんです。
案の定彼らはまんざらでもなさそうに、私のバイクをガレージに誘導すると二人がかりでピット作業となったのです。
結果として改善には至らなかったんですが、彼らの懸命な処置で以前よりかなりましになりました。
こうゆう一見悪そうな子たちって、勉強じゃない自分が今賭けてるものには相当プライドが有るんです。
それを知ってたんで相談したわけで、
案の定彼らは、相当必死に頑張ってくれました。
最後まで復活とはいかなかったんで、彼らとしては不本意だったのかプライドなのか申し訳ないくらいの金額しか請求されませんでした。
私は彼らの頑張りを遠いベンチに寝そべりながらたまに見てましたので、そこは店の売上とは別に彼らに小声でお礼を言いながら少額な駄賃を渡しました。
バイクってそれだけの共通点で、どんな奴らともなんか親近感が沸いて自然と仲良くなれることがよくあります。
この時もそう思った一瞬でした。
次回、目指せ長崎~またしてもトラブル!?~フェリーに間に合うのか?
つづく~