勝負で負けて悔しくない人間はいない | 連続アメブロ演義 まとひ

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剣龍之介のいま、つたえたい話

何事も完璧ってものはない。失敗したくてしてるわけじゃないんだから。人間のやる事です。ミスだってある。ただ、大失敗だけしないように気をつけてくれと。人命や教育に関わる部分は特に。

人生、負ける事だってある。むしろ、生きてる間、負ける事の方が多いんじゃないか。負けて得るものがありますよ。負けて何を見つけるか。それで課題を見つけて、実際に克服してくれれば、私は一勝に等しいと思ってます。

なぜなら、自分を理解できれば大成するから。自分を分析できないから伸びてこない。気付かないとき、気付かせてくれる人がいればありがたいし、思わぬところで映像や文章、歌のフレーズに出会って気付いたりする。自分が分からないって人がいるけど、『得意な事は何?』って聞きます。それをとにかく伸ばせば良い。得意な事が無い人は存在しないので。他人から見て長所なのに、本人が『私に得意な事なんてありません、長所なんてありません』って言い張ってるだけ。

生きるって、本当はシンプルなものなんだと思う。真面目な人ほど、生きるって難しいものだと思って、あれも、これも完璧にしないとって、追い込まれる。だから、本来余計なものが膨らんで、一生懸命にやっていても進んでいく方向が違ってくる。ちょっと見方を変えるだけで、ずいぶんシンプルにできる。日本人は得意なんじゃないかな。シンプルに考えることができるというのはその道を極めることに通じると思う。

人間社会って、お互いの欠点認め合って、なんとかしていくのが基礎じゃないかな。私はそう思う。自分の一番の長所をどうやって最大限に出してこの世界で生きていくか。『こういうことをやらせたら私は絶対の自信がある』『この分野に持ち込んだら、任せてくれ』『これだけはできる』それで良いんだよ。それで、自分がやられて嫌な事は、他人には決してやらない。たとえ、やられてもね。

そういう存在になったら、幸せですね。輝いてると思う。それが私の思うプロフェッショナルだね。年齢だの、ビジネスだの、社会的成功うんぬんは関係ないですね。だから、必ずしも全てを追っかける必要はないと言ってます。全部追っかけられる人は追っかけたら良い。全部100点の人がいるなら、1科目1000点の人がいて良いじゃない。

だから最低限、負けたくないという気持ちを出してくれればそれでいい。仮にその後負けてもね。勝つにこしたことはないですよ。ただ、全部勝てるのは一握りの人間。人生勝ちっぱなしで逃げ切れると思ったら、足元すくわれると思う。そう簡単なゴールじゃない。

普段やれる事をきちっとやって、たまには自分の力以上の事をやれる人。私はそんな人間を目指しますよ。そんな人が好きだから。

大一番でも小さな事でも、私は一緒ですね。この作品は真剣に、この作品は適当にやるなんてしたくない。すべての作品に自分として最高のものを求めます。自分のできることや得意なことは完璧に、ということです。でないと、悔いが残るから。全力でやって跳ね返されたなら、自分の力不足だって認める。だったら、今度は足りない力を付けたらいい。戦い方を変えればいい。でも、余力残してたら、『あの時、ああしておけば、こうしておけば』となる。それは評論家の仕事であって、私の仕事とは違う。

自分の行く手を阻む人間を超えるには、大変な労力がいるのは事実で、それを惜しむか惜しまないか。実力を持ってる人は努力してる。だから、同じことをやっても抜けるわけがない。相手もこの一秒一分技術が上がってるんだから。でも、一番きつい思いをしてるのは、先頭を走ってる人だろうね。見えないものを追いかける。見えないから抜かれてなるものか、になる。それが一流ということ。苦しいけど、楽しいと思いますよ。