その村は非常に荒れていた。大人も子供も老いも若きも、男も女も、皆、働かされていた。
食事は毎日、薄い粥一椀と濁った水が二杯だった。
負傷した者や病人は、道端にうち棄てられ、横たわって死を待つだけだった。
「人間は力に応じて働けばよいのです。強者は弱者のために働かねばならない。家族の救いの手が無い時は、
社会が家族に代わって助けるべきです」
先生は食事と介護の世話を、早速始められた。県令の王凱は、これを快く思わず、先生を捕縛し、
二十日も牢に押し込める暴挙に至った。周逸と陳到、孫温の働きで先生は無事解放された。
王凱は暫くして、部下の抗渠に斬られ、村は平静を取り戻したという。